水平打法:橘田光弘プロが殿堂入り顕彰者の兄である橘田 規プロを語る | 電車で酔いどれゴルフのブログ

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以下に紹介するのは橘田規プロの殿堂入りを記念した動画です。

 

1973年の日本男子ツアー制度制定前から活躍した記録整理されていないが偉大なプロゴルファーの物語。

 

第四回 日本プロゴルフ殿堂入り顕彰者の元祖水平打法:橘田 規(きった・ただし) 

 

1961年~1965年ワールドカップの日本代表選手。

 

私の亡くなった父が模範としていたプロが橘田 規でした。

私がゴルフを始めた前後は全盛期は終わっていましたが1977年日本マッチプレーに勝利するなどまだ存在感がありました。

 

水平打法の継承は来る者は拒まず、手とり、足とりではなく見せる事は見せる。自分からは教える事はしないが来るものはアマでもプロでも拒まない。なので自称弟子が多い。

 

水平打法の後継者と言われている高松志門・奥田靖己も自称弟子の中の一人。

 

橘田 規(きった ただし、1934年4月20日 - 2003年3月22日)

1957年関西プロ優勝~1977年日本プロマッチプレー優勝まで長く活躍した選手でした。

 

国内21勝

※1973年以降は賞金ランキング加算競技が対象(1972以前も含めると実際はもっと勝ってます)

日本プロ2勝1963、64年

日本オープン2勝1965、67年

日本プロマッチプレー1勝1977年

関西プロ2勝1957、66年

関西オープン3勝1958、62、63年

読売プロ1勝1960年

中日クラウンズ2勝1962、65年

ゴールデンマッチ2勝1964、65年

くずは国際トーナメント2勝1966、69年

西日本サーキット下関1勝1968年

ロレックストーナメント1勝1971年

中部オープン2勝1972、74年

 

弟の橘田光弘(1942年07月03日生まれ)も1970年日本オープン優勝など活躍。

動画は弟の橘田光弘プロ。

 

橘田光弘プロが殿堂入り顕彰者の兄である橘田 規プロを語る

橘田 規(きった・ただし) 

インタビュー動画-第1回-

農作業で培った足腰がゴルフの基礎に

 

 

橘田 規(きった・ただし) 

インタビュー動画-第2回-

水平打法が編み出されたころ

 

 

橘田 規(きった・ただし) 

インタビュー動画-第3回-

スプーンで食べる感覚のアイアンショット

 

 

橘田 規(きった・ただし) 

インタビュー動画-第4回-

スイング矯正は、くぼみに置いたボールを3番アイアンで打つ

 

 

橘田 規(きった・ただし) 

インタビュー動画-第5回-

神経とがらせ、若い頃から胃潰瘍に悩む

 

 

 

橘田 規(きった・ただし) 

インタビュー動画-第6回-

水平打法の継承、来る者は拒まず見せる

 

 

橘田 規(きった・ただし) 

インタビュー動画-第7回-

日本オープン兄弟制覇、形見はパター1本

 

 

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ベテラン勢を振り切った
若き鬼才橘田規

1962年中日クラウンズ

 

 

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『1973(昭和48)年に賞金ランキングが整備されて以降、青木功、村上隆、尾崎将司の3人が上位を分ける年が続いていた。1976(昭和51)年は1位が青木、2位が村上、3位尾崎という順番。この年は22歳の中嶋常幸が初勝利を挙げるなど、新しい力も台頭してきた。

 一方で1960年代に圧倒的な存在感を誇っていた橘田規や杉本英世、河野高明といったビッグネームが衰え、世代交代が完了したことは明白だった。だが、そんな時代の流れに抗い、再び大舞台で輝いた選手がいた。1977(昭和52)年の日本プロマッチプレーを制した橘田である。』 

 

 

日本プロゴルフ選手権

橘田規プロが1963年、1964年、連覇達成!!

『マッチプレー形式から現在のようなストロークプレーに変わったのは3年目の63年、関西勢としては51年の石井哲雄以来実に12年ぶりという優勝を橘田規が竜ヶ崎CCで飾った。翌年の第32回大会も制した橘田は、50年代から60年代まで飛距離を出すために自ら考案した“水平打法”で次々にビッグタイトルを手中に収め、日本を代表するプレーヤーとして活躍した。』

 

日本プロゴルフ選手権 1949-1969

 

 

 

 

 

日本プロゴルフ選手権の歴代優勝者 第41回(1976年)〜第1回(1927年)

 

 

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『水平打法で勝ち取った日本タイトル3冠
兵庫県出身。19歳でプロ入りし、23歳の時に関西プロで初優勝。米国留学ではゴルフ場のプロショップで働きながら言葉やシステムを学び、午後は練習。「プロショップのこと、レッスンの仕方、勝負はパッティングで決まることなど学ぶことは多かった」と語っている。米国留学を経て大きく成長し、次々にタイトルを獲得。日本シリーズこそ2位が2度など優勝には届かなかったが、堂々日本3冠(日本プロ、日本オープン、日本プロマッチプレー)を達成したほか、関西プロ、関西オープンなど主要タイトルをほぼ手中にしている。ワールドカップ代表には1961年から5年連続で選出され、1970、71年には全英オープンにも出場した。』

 

 

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日本人のためのスイング理論‼️「柔よく剛を制す」ゴルフ✨水平打法生みの親 橘田規プロのスイング映像