ビキニ水爆実験:60年式典 福竜丸の大石氏「猛省を」

 

 

 

式典で反核を訴える大石さん(右)=マーシャル諸島・マジュロで2014年3月1日

 

 

 太平洋のマーシャル諸島・ビキニ環礁で1954年に行われた米国の水爆実験で島民や日本漁船の乗組員らが被ばくした「ビキニ事件」から1日で60年を迎えた。首都・マジュロの国会前では追悼式典が開かれ、参加者は黙とうをささげて犠牲者を悼んだ。日本からは被ばくした「第五福竜丸」の元乗組員の大石又七さん(80)=東京都大田区=や福島県の大学生らも参加、島民らとともに核廃絶を訴えた。

 1946~58年、米国は統治下にあったマーシャルで計67回の核実験を実施した。ビキニ事件で使われた水爆「ブラボー」の威力は広島型原爆の1000倍とされ、周辺で操業中だった第五福竜丸の乗組員らが被害に遭った。実験場の風下のロンゲラップ環礁では、死の灰を浴びた島民80人以上が被ばく。全島民が無人島へ避難したが、甲状腺がんなどで亡くなる人も多くいた。米国の資金で除染作業と帰島計画が進められたが、放射能への不安などから今も多くの島民が故郷に戻れずにいる。

 式典のスピーチで大石さんは「戦うための核兵器を作るため、多くのマーシャルの人たちが犠牲になりました。指導者たちの猛省をうながしたい」と述べた。東京電力福島第1原発事故にも触れ「核兵器も原子力発電も私は断固反対します」と訴えた。

 また、今年2月に来日して広島の被爆者と交流したロヤック大統領は「アメリカが実施したすべての核実験を忘れてはならない」とあいさつ。広島市長の代理として招かれた小溝泰義・広島平和文化センター理事長も「核の廃絶のために体験を共有しよう」と呼びかけた。

 一方、米国のガテマラー国務次官代行(軍備管理担当)は「アメリカは核実験後も島の人たちのサポートを続け、核のない世界に取り組もうとしている」と述べた。

 60年を前に、現地では核反対の機運が高まり、被ばく者の証言を聞いたり、踊りや音楽で島への思いを確かめ合う島民集会が開かれたりしている。日本の大学生たちは、広島と長崎に投下された原爆や、福島第1原発事故の影響とマーシャルの歴史を重ね合わせた。

 ◇ビキニ事件

 米国が1954年3~5月、太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁を中心に行った6回の核実験で、多くの島民や船舶乗組員が被ばくした事件。初回の3月1日には静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が放射性物質を含む「死の灰」を浴び、無線長の久保山愛吉さんが同年9月に急性放射線障害で死亡した。日米両政府は責任をあいまいにしたまま米国が日本側に総額200万ドル(当時で約7億2000万円)の見舞金を支払うことで政治決着したが、原水爆禁止運動が広がる契機となった。