山形県のある村から、地域活性化の相談があった。

 この手の相談は結構多い。東日本大震災や長期化するデフレ不況等々も相俟って、裾野の広い観光や地場産物等を通じた地域活性化にどの自治体も頭を悩ませ、知恵を絞り試行錯誤している。

 「やねだん」の取り組みとその成功がどの自治体にも汎用的・普遍的に当該するとは限らない。

 正解や全体最適解が見え難い時代である。正解は探すのではない。創るのだ。

 まぁ、いずれにしろ、国家の統治システムや制度、法、認識等を変えなければ、新しい発想やアイデアは出難い。

 コミュニティデザイナー等、地域活性化を専門にする方々も注目されている。

 「やねだん」は最初から「ギョウセイには頼らない」を前提にしたところがまず成功である。しかし、この覚悟は中々出来るものではない。


 最近、自分の周辺が久々な事や物で充満している。

 久々に駒沢を走った。久々にあの定食屋さんに行った。久々にあのランナーに会った。久々にあのスーパーに行った。久々に・・・・・・

 「久々」が多いと、その間の空間や時間が人生の中からそっくり抜け落ちたような不思議な感覚になる。まるで4~5年前から現在へワープしたかのようである。

 「この4~5年間の宮崎での生活空間や時間が非現実空間か、何か空想や夢現の中だったのではないか?」という錯覚、不思議な感覚である。

 ましてや、久々に経験する事や物が数年前と全く一緒だったりすると、余計にそう思う。


 いずれにしろ、何の因果か、この生活ゾーンに帰着した。正しいかどうかは現時点で誰にも分からないし、言えないと思う。正解は探すのではない。創るのだ。