東北から宮崎に移動し、今、宮崎にいる。

 今回の選挙でお世話になった方々への挨拶回り、そして口蹄疫から1年が経った県内の現状、また新燃岳の現状等も含め、宮崎県内(視察・訪問)をあちこち回っている。

 口蹄疫初感染確認から丁度一年、県は口蹄疫防疫新マニュアルを策定した。


 一年前のあの頃を思い出す。あれから一年、あっという間だった。

 国や県の初動防疫や国の危機管理体制の是非があの頃、さかんに批判され問題視された。

 国の危機管理や初動体制等については今回の東日本大震災や東電等への対応を見て、国民の方々がどう思っておられるか? それは国民や地域住民の方々の判断であろう。


 街中を走って回っていて、多くの方々に励ましや暖かい労いの声を掛けて頂く。有難いことだ。

 夜、繁華街でとある中年男性に声を掛けらた。「どうして一期で辞めたと?」

 また蒸し返しになるかも知れないが、今回の東京での選挙の時も一部の方々から聞かれたし、私の思い・考えが十分伝わっていない、或いは理解されていない面もあるので、この機会に改めてキチンと説明して置く必要があるだろう。


 このことはこれまで記者会見やインタビュー等で何度も説明して来たことであるが、一期で辞任した理由の一つに「責任」ということがある。

 「責任」の取り方には様々な方法があろう。責任を取るか取らないか?を含め、どういう責任の取り方を選択するかは人それぞれであろう。

 私が考えた私なりの口蹄疫の責任の取り方は、①まず一日も早く収束させる ②被災農家や関係者への補償と復興再生への予算確保 ③再生復興への計画(プラン)づくりとその道筋をしっかり付ける ④十分な検証による防疫マニュアル作りや二度とこういう事態を引き起こさない対策の構築 ⑤その上で行政の長(トップ)がどう責任(結果責任)を取るか?

 ということである。


 口蹄疫被災地での被災農家さんとの意見交換会や被害者協議会等の会議で「この一連の責任は誰が取るのか?」「少なくとも部長クラスの首は差し出せ」・・・・・・そういった意見も聞かれた。

 あの意見・指摘は私に取って非常に重たかった。まさか部長をクビにする訳にはいかないので、私自らが責任を取ったということである。

 政治行政の世界に入ってから、この「責任」というものについて、その質や取り方についてずっと考えていた。

 世間一般でよく言われる「行政や政治は誰も責任を取ろうとしない」・・・・・・そういう指摘に対しては初めから真摯に誠意をもって対応する覚悟でいた。


 例えば、今回の東電の問題に置き換えると、東電の責任の取り方は色々あるであろうが、①一日も早く収束させること ②被災された方々や関係者に対する補償・賠償と復興再生への予算確保 ③再生復興への計画作りと道筋をしっかり示す ④事態の十分な検証と新たなルールやマニュアル作り、こういう事態を二度と引き起こさない対策の構築 ⑤その上で、トップが責任(結果責任)をどう取るか?

 ということであろうと思う。


 今回の東日本大震災の様々な対策、特に復興再生対策等は、東北に任せるべきであると思う。国が一律的に対策を講じるのではなく、まずは東北を広域自治体として位置づけ、それぞれの地域地域の考えや実情に合わせるべきである。

 この機会に東北を一つの広域自治体化(広域連合や州)して、十分な権限・財源を移譲すべきだと思う。地域経済の復興再生や被災地の住民の皆様の生活に関する細かい制度や法律等も含め自治体の意向に任せ、自主自立的な自治体運営を誘導すべきである。

 今回の震災をきっかけに分権を一気に進めるべきである。「分権」とは権限・財源の移譲もそうだが、国と地方の役割分担、縦割り行政の是正等も含まれる。


 関東も今後の節電や災害対策等、広域自治体として対応しなければならない課題が当然のごとく出て来ている。これらのことは随分以前から指摘させて頂いて来た。

 今回を警鐘として行政システムの広域化を強化し、近い将来の分権国家の樹立に向け、先頭に立って進めて行くべきである。まぁ、こういう問題意識を持って都知事選に出たのだが・・・・・・・

 また、今回明確になった首都機能の集中化の問題。

 これもずっと以前から言わせて頂いているが、首都圏の連携による危機災害対策の強化と共に首都機能の分散化も当然進めて行くべきである。

 今回の東日本大地震を踏まえ、国と地方の在り方、国家構造の変革、国家そのものの在り方、人々の生活の在り方や価値観、エネルギー政策や産業構造、危機災害対応・対策、そもそもの街づくり・・・・・・・・様々なことを変革・見直しすることが必要であろうし、そのために人々のあらゆる知恵や創意工夫を総動員するときでもある。