11日(金)午後、高崎市で所用が有り、行った。高崎市内で用事が終わり、東京に戻るために高崎駅14時41分発の上越新幹線(MAXたにがわ)に乗った。

 それから数分後、新幹線車両が突然止まり、直後、車両が揺れ始めた。横と縦に、今までに体験したことが無いような揺れだった。「横転するな」と思った。遠くの関越自動車道がうねっているように見えた。長く長く感じた。遠くから悲鳴のような声が聞こえた。


 暫く経って、上越新幹線は完全停止した。その後、運転再開の見通しは立たなかった。情報と外界からは完全に遮断された。

 車両は数十分してから、ゆっくり動き出し、本庄早稲田駅に静かに滑り込んだ。

 車内放送でやがて少しずつ情報が伝えられた。徐々に全体像が分かってくる。車内は重たい空気に包まれたが、車両におられた10人程のお客さん達は頗る冷静で落ち着いていた。


 11日中の運転再開は絶望的になり、やがて「車内宿泊お願い」のアナウンスが流れ、やがて他の車両から人々が入って来た。


 それから、新幹線の中に約10時間閉じ込められた。最初は喋っていたお客さん達もその内に静まり返り、やがて眠りに落ちて行った。

 深夜、本庄早稲田駅でやっとタクシーがつかまり高崎市に向かった。途中の国道17号は大渋滞だった。タクシーのラジオが被害の様子をけたたましく伝えていた。

 

 高崎市のビジネスホテルに入って、テレビを点けた。飛び込んできた映像に我が目を疑った。絶句した。本当に声が出なかった。目の前で一体何が起こっているのか? 瞬時には理解出来なかった。まるでCGの映像のようだった。しかし残念ながら、それはリアルな映像だった。


 テレビのニュースを見ながら、あらゆる所・人に連絡した。多くの知人・友人が心配していて、連絡をすると皆安心した様子だった。

 コンビニの携帯の充電器や電池や食料等はどこも売り切れていた。それよりも、コンビニの陳列棚が乱れていたのが印象的だった。

 少し仮眠し、またテレビの報道に食い入った。

 

 12日(土)午前、上越新幹線の復旧は相変わらず目途がつかなかった。JR高崎線は朝7時から運行予定ということだったが、午前11時の時点で、実際2本しか運行していなかった。

 八高線等、他の鉄道はどこも運休。関越自動車道は制限速度50㎞で走れるということだったが、そこら中大渋滞で、都内まで料金はいくら掛かるのか?時間はどれくらい掛かるのか?都内に確実に着けるのか?不明だった。


 結局、昼12時前の高崎線・各駅停車に乗れた。車内は超満員で立ちのまま約4時間掛かって上野に到着した。

 さすがに、心身共にへとへとになった。


 それより、被災・被害に遭われた方々やその家族や関係各位の方々は大変だと思う。何とか頑張って頂きたい。被災された方々やお亡くなりになられた方々やその関係各位の方々に、心からお見舞いとお悔み、ご冥福をお祈りしたいと思います。

 また、今でも救援・救命等に従事されておられる方々におかれては、事故・病気・二次災害等に十分留意され、頑張って頂きたい。

 避難されておられる方々は、どうかお気を確かに、希望を失わず何とか踏ん張って頂きたい。

 今こそ、一人ひとりが気持を一つにし、まだまだ注意・警戒を緩めず、官民一体となり、日本が一つになり、この未曾有の大惨事を何とか乗り切りましょう。

 頑張りましょう 皆さん! 頑張ろう 日本!