ここの所、1月~2月にかけて出演予定だったテレビ番組数本が急にキャンセルになった。いわゆるドタキャンというやつである。

 念のために言っておくが、これは決して抗議や憤慨の意味で言っているのではない。どちらかと言うと、極めて冷静に粛々と受け止めている。「まぁ、こんなものかな~」とか「まぁ、仕方無いのかもな~」とか、そう言った感じである。

 僕としては、明るく逞しくポジティブに立ち向かって行くだけである。

 というのも、そういうことは、十分に予想していたからだ。

 というのも、以前、そういう経験をしているからだ。


 2006年3月、あるスポーツ紙に「そのまんま東 宮崎県知事選出馬か!」と載った。勿論、宮崎県知事選に出馬するなど何も言っていないし、正直、あの時点では考えていなかった。

 その後、春以降に決まっていた宮崎県内の地元局のテレビ番組やイベントがビックリするくらい次々にキャンセルされた。

 それは、局や主催者の自主規制だったのか?それともどこからかの有形無形の圧力が掛かったのか? 分からない。

 

 でも、あの時、「あぁ、政治・選挙ってこういうことなのか?」と思ったものだった。初めてだったので、ちょっとショック・ビックリだった。まぁ、逆に、だから闘志が湧いた部分もあったのだが(笑)。

その時、唯一キャンセルにならなかったのが「北郷町さくらマラソン」であった。「他は悉くキャンセルになるのに、どうしてここだけキャンセルにならないのですか?」と聞くと、当時の倉岡町長が「このイベントは県と関係無いですから」と笑っておられた。

 後に、県の行政に入って、その意味が理解出来た。同時に、そういう県にしてはならないと強く思った。

 先日、倉岡氏(現日南市副市長)にお会いしたとき、「原点に戻って、一度北郷に来て下さい」と励まされた。


 今回の県知事選挙でも、目に見えない様々な圧力や空気を感じた。

 で、もしかしたら、この国を覆う閉塞感とか行き詰まり感というのは、そう言ったことにも起因しているのかも知れないと思った。

 政治だけに限らず、組織・団体・会社・社会等の中で、誰か志や才能がある人間が頭角を現そうとしたり、伸びようとしたり、チャレンジしようとしたり、変えようとしたりする場合、それらの足を引っ張ったり、邪魔をしたり、圧力を掛け抑え込んだりする何か得体の知れないものやヒトがあるのではないだろうか?

 国政なんかを見ていても、議員同士の単なる足の引っ張り合いだけにしか見えないのは、僕だけだろうか?


 それは、変えては困る人達、変えたくない人達、その人が伸びては困る人達、面白くない人達等々・・・・・・・勿論、それらは、制度だったり、規則だったり、法律だったり・・・・・・・慣習だったり、前例だったり、歴史だったり、環境だったりもするのだが・・・・・・・がいるからだろう。

 そして、力学的に、伸びようとする力より足を引っ張る力の方が圧倒的に強いのだ。


 しかし、出来れば、そういう余計な圧力や邪魔は無い方がいい。チャレンジやトライしたい誰しもが、何かをやりたい人々が、自由に伸び伸びとチャレンジ出来るような社会や制度だといいな~~。今後、思う存分実力を発揮出来るような環境づくりを進める必要があろう。

 今、求められているあらゆるジャンルの規制緩和なんかもその一部であろう。言うなら、地方と国の関係もそうだ。

 そういう開放感や希望に溢れる世の中にしたいものだ。 それが、ある意味、この国の閉塞感や諦め感を打破してくれるような気がしてならない。