川南町で、県内12例目となる口蹄疫疑似患畜の確認がなされた。これで、これまでの殺処分対象家畜は牛豚合わせて4369頭になった。被害は甚大である。因みに10年前の殺処分頭数は35頭であった。

 防疫作業にあたっている関係各位の疲労・疲弊が深刻である。頑張って頂きたい。これだけの数になると、さすがに埋却場所等の対応にも窮して来る。


 そして訃報である。

 安藤元宮崎県知事がお亡くなりになった。突然の訃報で、ただただ驚き呆然としている。安藤氏におかれては、官製談合事件での逮捕等もあったが、県職員としてまた知事として、県政発展のためにご尽力を頂いた。そのご功績に対して心から敬意を表すると共に心からご冥福をお祈りしたい。

 氏は、官製談合事件等で結果的には晩節を汚すことになった。人間的にどういう方かは、話したことも無いし、これと言った付き合いも無かったので分からない。


 しかし、外観的に思うに、特に晩年、非常に不幸・不運な方だったのではないだろうか?と推察する。県職員として優秀で、部長職まで経験された。知事職・知事選が一人の人間の人生を翻弄し、狂わせた。不幸・不運は、初めて知事選に出られた辺りから始まったような気がする。「知事になり県政発展に尽力しよう」と思われた情熱や野望、志または正義感がある種の不幸を招いたと言える。

 

 氏は、1999年、松形知事の6期目の知事選に、部長職を辞し出馬され、落選された。その後、2003年、松形知事の引退により、行われた知事選で、元県出納長の牧野氏を破り初当選された。

 一人の優秀な行政マンの人生を知事選(選挙)・政治という魑魅魍魎が激変させ、遂には官製談合という不名誉な事件で、自業自得という側面はあるにせよ、行政のトップが逮捕・一二審での実刑判決という残念な事態を引き起こした。


 2006年3月、僕が離婚報道されたとき、それを機に県知事選に出るのではないか?と各メディアで報道された。その時、急に2期目出馬を表明された。それから、県内で出演が決まっていた番組やイベントが適当な理由を付けられ、急遽バタバタとキャンセルにあった。その時、僕は氏に対して「この人は不器用な人だな」というか「正直な人だな」と何となく思った。 

 

 人生に「たら・れば」は無いが、もし仮に、氏が怨念の知事職・知事選というものに無関係な穏やかな人生を選択されていたなら、一連の悲劇は起こらなかったのかも知れない。
 以前、後援会の稲森が氏に会いに行ったとき、「今の県政運営を大変評価している。東国原知事には、引き続き宮崎のために頑張って頂きたい」というメッセージを頂いたらしい。有り難いことである。それが本来の氏のありのままの平凡な姿だったのかも知れない。重ねて、心からご冥福をお祈りしたい。合掌。