西日本新聞に吉川のインタビュー記事が載っていた。本人からは「そんなこと言ってません」と慌てて釈明・謝罪があった。記事の内容は、本人が話したことと全然違うらしい。本人が言ってないというなら、新聞が嘘(出鱈目)を書いたということか? まぁ、新聞・週刊誌等には良くあることだが・・・・・・・

 文中、「『私(吉川)が今日で解散』と言ったら終わり。その日までは一緒にいる。そういうと、知事は黙って頷いていた」とある。冗談じゃない(笑)。仮にそんなことを吉川が言ったとしたら、即、解散である(笑)。


 これは、記事では、吉川が僕に言ったことになっているが、これは真逆で、僕が彼に日頃から言っていることである。「俺は明日どうなるか分からない身だから、いつでもその想定・覚悟をしておいてくれ・・・・」と。

 その後のインタビュー内容も全て僕が言っている内容で、彼が言ったことではない。一応、彼の名誉のために、この場を借りて訂正しておく。


 先日、谷川さん、ワイナイナ、猫君に会った。いずれも走り仲間であるが、僕とワイナイナと猫君が殆ど同時に走りに関する本を出版した。偶然である。

 谷川さんとワイナイナはわざわざ僕の本を買って読んでくれたらしい。大変恐縮である。谷川さんからは、特に賞賛の言葉を頂いた。有り難かった。


 昨日、師匠や今田耕二さん、ダチョウ倶楽部さん、オードリーさん等と食事をしていて、ツイッターの話題になった。

 今田氏から、「ブログや携帯電話(写メ)やツイッター等の登場で、社会の監視社会化、衆人環視と情報伝達能力が著しく向上し、著名人の行動にかなりの制約が生じてきた」という趣旨の指摘があった。確かにそうであろう。

 特にツイッターなどは、リアルタイムの情報を瞬時に全世界に配信・発信出来る。「誰々がどこどこで何々をしていた」等の情報は一瞬にして全国・全世界に伝わる時代になった。それへの是非、賛否は色々あるだろうが、現実として受け入れる必要はあるだろう。


 情報機器や車、電化製品等が小型化・軽量化・デジタル化していく時代。人々の心やスケールも小型化・軽量化・デジタル化していくように思う。

 情報公開や透明性や可視化の進化により、監視やチェックが覗き見や異常な関与や匿名による誹謗中傷・告発等に歪に変化する。結果、その事が社会を矮小化し人々の閉塞感や窮屈感を助長する。

 この国を支配・抑圧しようとするものは一体何なのか? スポイルしようとするものは一体何なのか? この国を衰退化・弱体化させようとしているものは一体何なのか? 何故?この国を衰退化・弱体化させようとしているのか? この国が衰退化・弱体化することによって、誰が?何が得するのか?・・・・・・・・・・巨大な得体の知れないそのものと僕らは闘って行かなければならない。