こうなると単なる誹謗中傷を超越し、侮辱、蔑視、職業差別、名誉棄損等の領域に入るのではないだろうか?
宮日新聞のマンガである。たかがマンガ、されどマンガである。その主張(論調)は、勿論、掲載した宮日新聞の主張(論調)ということであろう。
「たかだか「マンガ」なんかに一々目くじらを立てなくても・・・・」というご意見も当然あるだろう・・・・・・確かにそうであるし、これまでも目を瞑って来た。しかし、それにも限度・限界というものがあろう。新聞の記事は、当然、世論醸成・操作効果があるし、社会に対する影響力も小さくない。
公人であるから、批判・苦言等は甘んじて受けるつもりであるし、それらに対して一々反論や否定も、目に余るときにしかして来なかった。
「芸名・宮崎県知事」ということは、僕が宮崎県知事という役職名を芸名として使っているということか? これは事実に大きく反する。大変な侮蔑である。
「人気急落、一発屋芸人の仲間入り」とは? そもそも、作者が考える一発屋の定義とはどういったものなのか? 3年続いてもそれは一発屋か? 政治家も一発屋というのがあるのか? 支持率が3カ月で急落したら、それは一発屋なのか? 選挙に一回しか当選しなかったら一発屋なのか? 総理が1年しか続かなかったら、一発屋か? ここでいう人気急落というのはどういうことを指すのか?テレビに出たら出たで出過ぎと批判される。ちょっと制御し出なくなったら、人気凋落・一発屋ということか?
最も許せないのが、この「一発屋芸人」という文言・表現である。漫画家に芸人を蔑む権利がどこにあるのだろうか? 職業差別・蔑視ではあるまいか? 人権侵害(いじめの助長等)に抵触する問題かも知れない。
僕は「一発屋芸人」なのだそうだ。百歩譲って、もしそれが事実だとすると、一発当たっただけでもラッキーであるし、その幸運に感謝しなければならないだろう。一発屋芸人さん達の苦労や努力、苦悩がどれだけのものか? 考えたことがあるのだろうか?
「そういう貴方は一発でも当たったことがあるのですか?」と言いたい。
最後に「飽きた」である。簡単である。飽きたのなら見なければいい。飽きたのなら、わざわざマンガなんかにして取り上げて頂かなくて結構である。何故、わざわざいらうのだろう? 人気が落ちた芸人に「一発屋芸人・・・」などという言葉を浴びせかけ、揶揄・嘲笑し、追い打ちをかけること自体、残酷・冷徹な行為であり、マンガといえども、良識を求められる新聞がやることではないと思う。それはまるで敗北者に「この敗北者!」と詰り貶める行為であり、典型的な弱者虐めである。常識やモラルを著しく逸脱していると言わざるを得ない。
いずれにしろ、これが宮日さんが主張されたいご意見・ご提言として重く、そして真摯に受け止め、今後の参考にさせて頂きたいと思う。
大体、こういう悪意に満ちた記事を載せて、一体誰に何の得があるのだろうか? 誰が楽しいのだろうか? 首を傾げてしまう。これが県政の発展や県民の暮らし、県民への情報提供等にどう役立つというのだろうか? 真意が分からないし見識を疑わざるを得ない。
これまで、抗議したいことを何度も我慢して来た。しかし、ここまで来ると、一度、法的措置ということも視野に入れてみてもいいのかも知れない。法律のいい勉強になるかも知れないし・・・・・・・
あんまり腹が立って、定例記者会見で宮日の記者に思わず、「取るに足りないことだ・・・・・」と言ってしまった。あれは、「あんたが取るに足りない・・・」「その質問が取るに足りないこと・・・・・」「政権交代や景気低迷という天下の一大事よりは取るに足りないこと・・・・・」と言った意味だった。訂正や説明をするのも面倒臭く、馬鹿らしく、そういうことをする自分に腹が立ち、しなかった。