上越市に行った。そこら中に「天地人」のポスターや看板があった。NHK大河ドラマのテーマにされるほどの歴史的資源・財産があり、本当に羨ましい。

 かつて、僕は武田信玄のファンだったのだが、知事選挙前、日向市のあるお寺の住職に「貴方は、上杉謙信の生まれ変わりだ・・・・」みたいなことを言われた。その住職には悪いが全く信じられなかった(笑)。今も信じていない(笑)。上杉鷹山ならまだ万が一あり得るかも知れないが、長尾景虎は絶対に無いだろう。

 しかし、余りに熱心に「毘沙門天」のお札を薦められるので、断るのも申し訳なく、一応選挙カーに乗せた。


 因みに、2007年(就任の年)、大河ドラマは武田信玄系――山本勘助。

 上杉系は今年の大河ドラマ。


 NHK大河ドラマ。俳優の笹野さんの太閤秀吉は秀逸である。僕がこれまで見た数々の秀吉の中では少なくとも一番である。それも断トツである。

 30日、秀吉は死んだ。自民党は惨敗した。

 松方さんの家康もいい。病床の前田利家の前で「世を乱すなど、断じて致しませぬ・・・」という含みのある科白の言い方などはさすがである。

 戦国時代、ああいう武将が、実際にああいう科白をああいう風に喋っていたのではないか? と思ってしまう。

 代々、政治家は、いや、天下人は、皆芝居が上手かったのかな? とも思ってしまう。


 メディアの前で本音や怒りを押し殺し、あらゆる感情を表に出さず、上手に芝居が出来るのも政治家の才覚なのかも知れない。

 記者会見で決して切れず、冷静かつスマートな笑みを浮かべられる政治家が大成していくのかも知れない。メディアと仲良くなり、それらを取り込んで、上手に付き合うのが政治家として賢明なのかも知れない。

 僕には、無理だ。

 メディアに媚び諂って生きて行くなんて、そんなことをするくらいなら、舌を噛んで、死んだ方がましだ。恥を知れ!と言いたい。

 それが、坂口元議長の「鳳凰」論で言えば、僕としての「鳳凰」である。

 僕は、きっと損をしているのだろう。いや、している。今後もするのだろう。しかし、そこは譲れない一線である。これまで、そうやって、生きて来た。

 

 選挙戦の様子を見ていると、一挙手一投足が随分芝居がかった方もおられる。あのお決まりの選挙演説というのは、どうしてああも芝居風に見えるのだろう? 見てて、どうも嘘くさい(笑)。芝居だから、嘘くさいのか? 言っていることが嘘くさいから、嘘くさく見えるのか? 嘘だから、嘘くさいのか? 本当のことだから嘘くさいのか? 分からない。

 あれを嘘くさく見せない候補者か、実際に嘘を言わない候補者が勝つ傾向にある。 僕の経験上、真の嘘は真実になる。

 

 そういえば、あの騒動のことを「猿芝居」と書いたメディアがあった。全く芝居などしていないのに「猿芝居」と言われたら、少々ショックである(笑)。真剣に芝居をして、それを「猿芝居」と酷評されるよりショックである。

 秀吉は「猿」と言われた。「猿芝居」が笹野さんのあの名演技の「猿=秀吉の演技」という意味で、或いは実際の秀吉の演技(=人生)として使われるのなら、それは、ちょっと嬉しいことであるかも。まぁ、そんな訳はないか(笑)。