今、ダラスにいる。1963年、アメリカの若き指導者がここで暗殺された。

 ブラジルからの帰り、トランジット中である。日付は、2009年・8月・25日・午前8時15分。日本は、恐らく、25日の夜である。

 後、約3時間のトランジット後、13時間飛行機に乗って成田到着である。そこから、羽田に移動し、また飛行機で宮崎に戻る。ふ~~。

 

 サンパウロでは、携帯のメールも送れず(時間的ではなく携帯の機能的に)、PCも中々使えなかった。

 サンパウロでは3日間の日程を恙なく終え、まずこれと言った問題は無かった。

 ブラジル宮崎県人会の方々には、大変良くして頂いて、心からお礼を申し上げたい。

 

 戦前19万人、戦後6万人と言われる日本からの移民の方々のご苦労と困難は筆舌に尽くしがたく、想像を絶するものがある。その忍耐と誠実と勤勉と創意工夫に心から敬意を表し、そのご労苦と試練を想うたび、自らの小ささを痛感させられた。

 「僕なんて、まだまだ甘い」

 あの遠い異国の地で彼ら彼女らは現在も本当に逞しく生きておられた。その姿に感銘を受け、逆に励まされた。

 「彼ら彼女らの苦労に比べたら、僕なんか、蚊ほどである」


 ブラジル・サンパウロもまた、様々な行政・政治課題を抱えていた。どこも同じである。医療福祉年金、教育、経済景気、税制、技術、渋滞、各種の格差・・・・・・・・・・

 しかし、ブラジルは新興国(Bricsの一員)として、人口増(約1億9000万人)の中にあり、これから発展するダイナミズムと可能性をふんだんに秘めていた。

 2014年のワールドカップ開催過ぎには、国力として、日本と肩を並べる、いやもしかしたら日本を追い越すのではないだろうか?


 自由と資本主義を選択した社会(国家)が持つ課題は格差と不安である。自由・平等・公平を前提に、問題はその格差の度合いをどの辺りで留め置くか? 人々が生きる安心の度合いをどれくらい高められるか? である。その線引きが重要(=社会の要求)なのである。

 例えば、日本で言うと、現在のところ、自民党さんのこれまでの線引き(政策)より、民主党さんのそれに期待が掛かっている(要求されている)現状であるということであろう。


 機内で、機内食を食べるとき、ミルクを頼んだら、ビールが出てきた。僕の英語力もとうとう末期である(笑)。

 3年くらい、英語圏で暮らし、英語力を身に付けることをずっと以前考えていた。しかし、今や、そういうリラックスした人生は歩めそうにも無い。

 そういえば、J・F・Kも民主党だった。考えてみれば、あの頃から既にアメリカという国は二大政党制だったのだ。