大淀川河川敷を走っていたら、まだ小学校に入っていないくらいの小さな子供から「あ!知事だ!」と言われた。

 知らない子供が僕に気付き、「東国原知事だ!」とか叫ぶこと自体は今ではそんなに珍しいことではなくなった。先日は、中学生くらいの知らない子供に「知事!こっち来て!」と手招きされたこともあった。

 河川敷で僕に気付いたその子供達は僕を追いかけて来て、摘んだばかりの四つ葉のクローバーを僕にくれた。子供は国家の宝である。

 しかし、行きずりの知らない子供達に四つ葉のクローバーを貰う政治家というのはそんなにいないのではないだろうか?


 今、全国で年間の出生数は約109万人である。年間114万人が死亡するので、人口減のトレンドに入った。

 2030年には、日本の人口は約1億1522万人になり、75歳以上が20%、15歳未満の子供は10%になるらしい。

 2055年には、総人口8993万人、75歳以上が27%、15歳未満の子供が8%、1年の出生数は45万人に減るらしい。

 ゾッとする数字である。

 四つ葉のクローバーをくれた子供達、国家の宝達が年をとる頃には、この国は一体どうなっているのだろう? あの宝達が、支えたいと思う国家になっているのだろうか?


 人口減少はその国の活力・国力を削ぐ。人口減は、国家の宝を失うということであり、それは、消費者・生産者・納税者等の減を意味し、現役世代が高齢者を支えるのに大変な負担となってくるということである。

 いい加減、この国は本気で少子高齢対策に乗り出さなければならないと思う。危機感が感じられない。

 多くの女性が「母」という生き方を選択しなくなった、あるいは選択できなくなった今日、女性の産む自由、産まない自由は確保しつつも、もっと産みたい、沢山産みたいと思う男女・夫婦に、産み育てる環境を整えることや産みたくても産めない女性に何らかの対応や助成をすることが肝要であろう。場合によっては、多様な婚姻形態の社会的承認や移民政策等も同時に検討しなければならない。

 

 母の日にそんなことを思う。

 子供を産み育てるのは大変である。しかし、喜びや感動も沢山ある。男女の社会的性差異を無くし、社会が高度化・成熟化・複雑化していくと、男女の晩婚化や非婚化、女性の高学歴化や社会進出により、非出産の女性が増えるのは当然の傾向である。

 最近では、結婚に恐怖を感じる男性が増えていたりする傾向もあるらしい。


 僕の知人に、複数の女性に子供を作っている御仁(猛者)がいる。勿論、認知もしているし、それぞれの女性や子供達はその形態を了承・承認している。

 女性一人と結婚するだけでも恐怖であると怖気づく男性が少なくない今日、複数の女性相手に家庭を持ち、子供を作っているのだ。当然、社会的・経済的責任も生じて来るだろうし、相当の度胸・覚悟が必要であろう。子供を産み育てて行くということは、その相手や子供の生活や人生も引き受けるということであり、相当の覚悟と才覚がいる。僕には、とてもそんな才覚は無い。

 

 勿論、現在の一般論では、非倫理的・非常識的と言われるのだろう。しかし、大人の当事者達が了承し合っているこの形態を他者がインモラルと簡単に非難・排除出来るものだろうか? ましてや、日本は今後、これまでに人類が経験したことのない超少子高齢社会に突入する。

 少子化対策の先進国であるフランスは、婚外子を法律や世論が保護している。少子高齢化対策は、子育て環境、制度・税制、企業や地域の理解・協力等、あらゆる視点、複合的な視点に立って講じなければならない。

 多様な婚姻形態や価値観の採用や意識変革、少子化による国力の衰微衰退対策。この国はこの先、どれだけの試練的・戦略的選択と創造を迫られることになるのだろう?