思うに・・・・・・「一生、忘れない」「許せない」と思う言葉がある。屈辱や侮辱を受けた言葉・指摘や誹謗中傷、罵詈雑言の類がその一つである。しかし、それらの言動や受けた悔しさをバネ・糧に、「捲土重来」「臥薪嘗胆」と自分に言い聞かせ、その受けた言葉やその人間をいつかは見返してやろうと、或いは、いつかは超えてやろうと、頑張ることがある。

 そして、それらの屈辱自体や屈辱や侮辱を与えた人間を忘れたり、許せるようになるために、必死に頑張ることがある。それらを忘れたり、許せることが、自分を一回りも二周りも成長させることであり、その人間を超えられるからだ。

 それが、僕の闘争の一つでもある。人は、愛するものを守るために闘っている。


 川添という元県議会議員から、昨年の9月議会で、僕のマニフェストをこき下ろされたことがあった。「マニフェストの進捗が非常に低調である」と全否定された。それも、詳細で明確な分析や検証、論拠が不明のままである。

 僕のマニフェストは完璧ではないし、それなりに欠陥もある。それは、僕自身が認める。そもそも完璧なマニフェストというのは、存在しない。

 しかし、あのマニフェストを生むために、どれくらいのエネルギーを費やしたか? どれくらい苦労したか? どれほど愛情を持っているか? 彼は恐らく知らない。知っていたら、あんなことはとても言えないだろう。そもそも彼はどれくらいマニフェストというものを理解しているのか?

 前県知事が逮捕され、急遽選挙ということになり、時間が10日間くらいしか無い中、「チームそのまんま」のメンバーの力も借り、不眠不休で、全身全霊を傾注し、仕上げたマニフェストだった。


 県知事選で過去初めて本格的マニフェスト選挙を実現したあのマニフェスト。

 あのマニフェストやその実現への取り組みを否定されるというのは、僕にとって、自分の子供、親、身内(肉親)、友人、故郷、祖国を馬鹿にされるのと同じことだった。

 何より、あのマニフェストに負託して頂いた県民の皆様に対する冒涜・侮辱であり、これまた不眠不休で「新みやざき創造計画」に落とし込んで頂いた職員への冒涜でもあった。

 僕は、あの議会で、「そういう立場(知事)になってから言って頂きたい」、つまり、「貴方なら、あの状況下で、どういう精度のマニフェストを作成出来たか? また、そのマニフェストを全否定されたら、貴方だったら、どういう思いをされるか?」という意味を込めた答弁をした。

 「あの選挙を僕等がどういう気持ちで闘ったか? 愛するもの(みやざき)を守るために、どういう風に死闘を繰り広げたか? 別に、親に地盤・カバン・看板を譲ってもらった訳でもなく、ましてや、親が、子供の当選を確保するために金品を配った訳でもない」

 

 自分でもよく抑えたと思う。あれが議場じゃなかったら、恐らく掴み掛かっていただろう。

 

 間髪を入れず、議長に「議会の品格を貶める言動は慎むように・・・・」と嗜められた。

 御尤もであろう。しかし、過去にもこのHPに書いたが、「議会の品格とは一体どういうものだろうか?」

 川添氏は、氏の父親が氏を当選させるために、支持者に金品を供与していた公選法違反で有罪が確定し、最高裁判決で連座制が適用され、今回、失職した。

 氏は、向こう5年は、同じ選挙区から立候補出来ない。しかし、来年、宮崎市と清武町が合併すれば、法律上同じ選挙区では無くなり、氏の立候補は、今後選挙人(有権者)がどう判断するか分からないが、一応、合法となる。


 そんな中、本人に選挙区割りの改正条例について、「確約書を交わしていたのではないか?」という疑惑が持ち上がった。その他、議長選挙に際し、特産品が贈与されたのでは?という疑惑も持ち上がった。事実説明等は、全員協議会等でなされたが、議会は紛糾した。

 議会は、この2年、定数削減、政務調査費、費用弁償削減、海外行政視察中止等、前向き・先進的・歴史的な議会改革に専心されて来られた。こういう取り組みに対しては、恐らく、県民の皆様が高く評価されていることだろう。そして、恐らく、これらを契機に、更なる改革や意識の醸成が図られるのだろう。

 

 それらはさておき、氏の態度が最も「忘れない」「許せなかった」のは、その議会終了後、僕に「ニヤリ」と笑いながら謝罪されたことだった。氏の謝罪の言葉と態度は議事録には載らない。

 僕は、神聖な議場で聊か感情的な発言をしたので、謝罪しなければならない。だから、実際、そうした。

 しかし、氏にもし確固たる対案政策、政治理念・哲学があるなら、僕にあんな態度で謝る必要があったのだろうか? 永遠なる闘いに持ち込めばいいのではないだろうか?人は愛するもののために闘っているのだ。それは、自らの生きる哲学だったり、矜持だったりする。

 それとも、あれは、単なるパフォーマンスだったのか? 政治生命を賭した発言ではなかったのか? 少なくとも、僕は、僕の、二世ではない雑草魂と人生を賭けた答弁だった。

 議会・議員の品格と人格と資質は、そこに真の価値を問われるべきなのではないだろうか?

 議会は、僕にとってリングである。


 宮日新聞が、その社説の中で、「僕に感情的答弁を引き出させた功績」と讃えた。この言葉も「忘れない」一節になるだろう。確実に、僕の「忘れないノート」「許さないノート」に記された。

 宮日の、最近何かと話題の二世議員に肯定的というニュアンスは、チラリとであるが、窺えた。別にそのことを決して否定するものではない。言論や思想信条はいつでも自由であるし、担保されなければならない。

 

 僕は、氏の言動を、いつか「理解する」「忘れる」「許す」ことが出来るだろうか? と思うことがある。 

 一つだけ言えることは、「忘れる」「許す」ための闘争・作業に入ったことは間違いない。それはそれで大変な、そして余計なエネルギーが必要なのだが(笑)・・・・・・・・・それは、僕が、政治家として、人間として、今後どれくらい、いわゆる、一般的に言われる「政策立案能力の向上」「為政者としての成長」「広い心」「大きな人間」「大きな器」「思慮深さ」・・・・・・に成長出来るか? という自分との闘いでもあるからだ。

 それは、そこだけ(成長するベクトル)は絶対に譲れない、人としての誇り、意地のようなものであるからだ。