この3日間、19km、17km、21km走った。ゆっくりゆっくり、ストレッチをしながら、腰と膝を庇いながら走った。走るというより、急ぎ足に近い。

 毎日、アイシングでケアーしたが、それでも腰と膝は限界に至った。

 今日と明日は、メンテナンスである。スポーツマッサージと必要なら針を打つことになるだろう。それで果たして回復にに向かうだろうか?

 飛行機と車の移動で約3時間。これがまた腰に来るのだ。


 おまけに、中山氏が、総選挙に出るとか出ないとか、態度をコロコロ変えて、それでずっこけてまた腰に来た。まるで株価のようである。


 あんなに大騒ぎした原油の高騰。NY原油が、1バレル70ドル割れらしい。この3ヶ月で半値である。一体どうなっているんだろう?

 実体経済が金融経済に振り回されまくっている。

 世界金融危機はまだ治まらず、株価はまた下がった。まぁ、株や為替というものはそういう性質のものだからしょうがないと言えばしょうがない。それを経済行為の基軸に置いたことが、むしろ問題である。

 

 資本主義経済は、貨幣も含め、「信用」というのが源流にある。こんな危うい状態は他に無い。しかし、世界はそれを選択している。

 以前、このブログにも書いたが、今のところ、他に選択肢が無い。学問は一体何をしているのか? 世界最高とされる経済学がフリードマンである。所詮、その程度なのである。


 世界の政府は金融機関への公的資金の注入に躍起である。金融機関の国有化である。市場はあくまで市場の(神の)手に委ねられ、自由でなければならないのではなかったか? 一部の金融機関や企業、投資家は法外な利益を上げたのではないだろうか?

 この国や世界の人々は、どうも民主主義と資本主義に振り回され、疲弊しきっているみたいである。中山氏や政党政治もその典型的な被害者である。

 市場原理とグローバルの妄信というアメリカモデルもいい加減にしなければなるまい。


 思えば、ケインズ経済からフリードマン経済に行政・経済・景気対策の潮流が移り、現在の世界の市場経済・原理主義・自由競争至上主義が形成された。ケインズもフリードマンもベストでないことは誰しもが知っていた。しかし、それらを選択せざるを得ない無力と悲劇が人類にはあった。

 世界は新古典派の実験場と化した。


 政府も景気・経済対策に躍起である。追加補正の政策減税は2兆円を超えるらしい。財源は国の埋蔵金か赤字国債という。

 90年代にあれほど財政出動を行った。しかし、この国の経済・景気はどうだったか? 「景気対策を公共工事で・・・・」と言う声はさすがに殆ど出ない。そういう時代である。

 真の景気対策は社会保障制度の確立・充実であると思う。

 それより、国はどうして自ら国家の制度を変えようとしないのか? 産業構造を変えようとしないのか? 価値観を変えようとしないのか? 今、この国にとってチャンスだと思うのだが。今、多くのことを変えるのに、国民は反対しない。


 まぁ、しかし、人類は今更、計画経済に戻ろうとはしないであろう。その敗北を知っているし、自由・快適・便利・優越等の果実を既に手放せないだろう。

 それは、政権政党が今の与党になろうが野党になろうが変わらない。

 国家の自立を促す国家像を提唱しなければならないご時勢に、まだ、機能が形骸化した国連至上主義の政治家がいることが信じられない。一体、今、世界で何が起こっていると思っているのだろうか?


 あるテレビ番組で、「国家の借金は国民の借金である。それを選択したのは、結局国民である・・・・」と発言したら、ある視聴者から批判が来た。驚いた。正直、中山氏の言動より驚いた。

 やはり、特にこの国の民主主義と資本主義に対する意識と認識は弛緩しているようである。「国民精神の弛緩」とある識者は論じていた。国家観の喪失は、強ち政治家や官僚のせいばかりではないような気がする。