賞味期限が切れていた。消費期限ではなく、賞味期限である。

 久々に、自分の部屋で冷奴と冷やしトマトと心太ともずく酢で一杯やろうと、台所で醤油を探した。醤油の色にちょっと違和感を感じ、賞味期限をふと見たら、2007年10月で切れていた。

 いかに、部屋で醤油を使わなかったかの証左である。こんなことは初めてである。

 ショックである。

 僕は、醤油を振り返ることさえしなかったのだ。醤油に、「私と仕事、どっちが大切なの?」と言われても仕方無い状況だ。


 他の、味醂や焼肉のタレやポン酢も、見事に、賞味期限が切れていた。全ての調味料が全滅だった。もう、殆ど、自己嫌悪である。

 毎日の公務・政務に追われ、足元の醤油の確認も出来なかったのだ。ヒトは忙し過ぎると醤油の賞味期限の確認を忘れるのだ。確かに、毎日暇だと、毎日、醤油の賞味期限を確かめる傾向にあるように思う。ヒトはそういう動物だ。

 醤油の大切さは、醤油を失って初めて分かるものだ。


 エアコン設置のため、工事を頼んだ。マンションの部屋は、入居当時、間取りを改造・改築してある。その工事によって、壁と一緒に埋められていた空調のパイプが切断されていたのだ。一年半、それに気付かなかった。

 勿論、今の部屋に引っ越して、初めてエアコンを入れたので、壁の中のパイプが切断されていたのに気付かなかったのは無理も無いことである。しかし、それにしても、何かがしっくり来ない。


 この一年半、一体僕は何をしていたのだろう? と思ったりする。醤油の賞味期限に気付かず、空調のパイプが切断されていたことに気付かなかったのだ。その部屋に一年半、住んでいたのだ。何か、一種の脱力感・絶望感を感じた。

 この一年半、余りにも、失ったものや犠牲にしたものが大き過ぎるような気がしてならない。

 醤油とかパイプとか。