7月は何となく気合いの入らない月間だった。まぁ、7月に限ったことではないのだが(笑)。どうも、具体的かつ身近な目標が無いと、モチベーションかつインセンティブが上がらないタイプである。だから、これまで目の前に身近な目標を設定して、それをクリアーするという作業を実行してきた。それは、「走り」だけではなく「大学」とかでもそうだった。その方が、どうやって時間を有効に使うか? 何に使うか? 優先順位はどうするか? 何の目的で使うか? 等が明確化できる。
 ここのところ、その明確さが今一つ曖昧なのは、やはり目標設定が成されてないというのが致命的原因であることは明々白々である。ならば簡単な話、「目標を定めればいいじゃないか?」ということであるが、そう易々と問屋は卸してくれない。て、意味が分からない←(これ、突っ込み)。まぁ、マラソンで目標を決めるのは結構エネルギーを必要とする作業である。ただ楽しんで走るだけならいいのだが、これが自己ベストだとかサブスリーに挑戦とかなると話は違って来る。その数ヶ月前からの練習メニューやスケジュール・体調など、様々な要素が関わって来る。8月の北海道マラソンを躊躇したのもそこにあった。出るからには、きちんと走りたい。でも、7月~8月にかけて、十分な練習が出来るだろうか? 夏のマラソンで記録が狙えるものなのだろうか? など、色々と不安要素があった。
 実際、7月は大学の試験、仕事、梅雨時期、暑さなど諸々の悪条件が重なった。勿論、これは単なる言い訳である。でも、自分についつい言い訳したくなるのが、「走り」である。人間そんなに意志・精神は強く無い。ましてや、僕はどこのランニングチームにも属してないので、練習は全て自分で管理することになる。鬼コーチや監督が監視しているわけではないから、いつ始めてもいいし、いつ止めても誰も何も文句は言わない。「今日は、走りたくないな~」と思い、走らないと決めたら、そのまま走らずに済むのだ。しかし、そういう状況下でも、自分に鞭打ち、自分に出来るだけ厳しく、克己して「走り」に行くのだ。一人で「走り」の練習をするには、自分でいうのもなんだが、相当強固な意思力と精神力が必要だと思う。まさに孤独、そして肉体・精神の限界との闘いでもある。だから、それらが出来る人を僕は尊敬する。
 僕は出来ていない。少なくとも、ここのところ出来ていない。特に7月は言い訳のオンパレードだった(笑)。近々のマラソンレースを意識しなくなってから、長い距離を走らなくなった。まぁ、試験勉強や仕事や雨がちの天候のせいもあったのだが、大体15km~17kmくらいのjogがメインになった。いけない!いけない! このままでは人間が堕落してしまうと思い、7月18日(日)丁度帰省していた折、宮崎県の小林市から都城市(出身地)まで、約38kmを走破しようと計画した。 
 正午からスタート。気温33℃の炎天下、国道を走った。車の排気ガスや歩道が無い部分がある等の悪条件もあり、23kmでダウンした。まぁ、次に行かなければならないところがあり、時間が無かったこともあるのだが(また、言い訳かい!(笑)。「今回は言い訳ばかりで誠に恐縮です」。結局30km走は出来ず仕舞いだった。
 7月は、インターバルもそこそこだった。たまに、1000mを3分20秒前後で2本くらい、刺激的に入れるくらいだった。ずっとjogばかりしていて、急にインターバルをやると、やはりきつい。「これからは、徐々にインターバルを増やして行かなければ・・・・・・と思うのだが。どうなることやら。7月に出来てないことが果たして8月に出来るのだろうか?
 10月1日のTBS感謝祭は当然視野に入っている。今回(前回3位)は是非とも勝ちたい。そしてその後、秋、トップシーズンに向けての本番。自己ベスト、サブスリーへの本格的な挑戦を視野に入れても、この夏の走りこみが重要になってくるのは自明のこと。もう一度、気合を入れ直し、ことに向かわなければならない。「皇国の興廃この一戦に有り!」という感じである。
 「走り」に対する根本的な意識改革を行うのとモチベーションの高揚を期待して、映画「マラソン」を観に行った。この映画は、実は、6月の上旬、試写会に招待されていたのだが、仕事で行けなかった。ずっと気になっていた作品だったのだ。
 また、これが泣けた。号泣である。そして「マラソン」が実に美しいスポーツに感じた。走りをやっている者から見て、時々「あれ?」と思う状況設定やシーンもあったが、まぁ、それでもその辺を差し引いても大変素晴らしい映画だった。もしかしたら「マラソン」は、本当に気高く、癒しのスポーツなのかも知れない。
 関係ないが、ネプチューンのホリケンとjog中に偶然会ったことがある。その時のことを後で、ホリケンが「東さん、まるで少年のような顔で走っていました」と評した。そうなのだ。「走り」は人をこよなくピュアーにしてくれるのかも知れない。だから、あんなに苦しくてもまた走りたいと思うのかも知れない。この映画の主人公もそうだった。
映画の話である。主人公のお母さんの役を演じられた女優さんが、これまためちゃめちゃ上手かった。演者の視点でちょっくら言わせてもらえば、とても難しいシーンや表情、台詞をとても情感豊かに、そしてそつなく演じておられた。演者として敬服した。丁度、この映画を観ているとき、関東地方を震度5の地震が襲った。しかし、何も気にならなかった。映画館の中も相当揺れたが、誰一人パニクルことは無かった。皆、映画に集中し、泣いていた。
 好きなシーンは、主人公が働いている工場で、扇風機の風に当たり、走っている状態に想いを馳せるというシーン。実に感動的だった。また、スポンサーがNBさんだったので、余計親近感が湧いた(笑)。僕も、NBさんからウエアーとシューズの提供を頂いているのだ。関係無いが、僕が最も気に入っている「151」というシューズが今期をもって無くなるらしい。トホホホホ。
 そんなことはいいとして、主人公のモデルになったのは実在の人物である。彼は、自閉症という障害をかかえながら、2時間57分○○秒でフルを走り、見事サブスリーを達成した。初めて参加した10kmマラソンで36分。素晴らしいタイムである。素養があったのだろう。
 映画からは、沢山の勇気と希望とエネルギーをもらった。「彼に出来て、僕に出来ないはずがない!」映画館を出た僕はそう自分に言い聞かせ、そのまま駒沢に直行した。そして、主人公が映画の中でそうしていたように、右腕を広げ、走ってみた。一瞬、彼になったような気がした。そしてそれを弾みに「ようし!」と、1000のインターバルを始めようとした瞬間、左股関節に痛みが走った。「痛!」「あれ?」。それから、左足に全然力が入らなくなった。「やばい!」、このまま走ったら故障してしまう。そう思い、泣く泣くインターバル練習を止めた。トホホホホ。中々現実は映画のようには行かないものだ。
 しかし、映画の主人公が僕の新たな目標になったことは、どうやら収穫・事実であった。今後の目標は、とりあえず彼のフルマラソンのタイム、2時間57分7秒である。