1974年、ドイツ大会。オランダの天才ヨハン・クライフがクライフターンで世界を魅了し、このクライフはそれまでのFW・MF・DF分業制から、いわゆる現在のトータルフットボールとしてサッカー形態を大きく変えた。同時にドイツのベッケンバウワーが「リベロ」という概念を創出し、世界を驚かせた。僕が、サッカーを始めたのは、中学一年の時。このサッカー革命の前の事であった。当時小学校にはサッカー部が無く、サッカーボールも無かった。’68年メキシコオリンピックを小学5年生の時に観た英夫少年は、翌日、学校のドッジボールに、サッカーボールの柄を油性マジックで描いて、体育の先生に拳骨をもらった。懲りずに、校庭でそのボールを蹴っていたら、給食室のガラスを割り、破片をオカズの中に入れ、給食係のおばさんの腰を抜かしてしまった。そして同じ体育の先生に死ぬほど殴られた。それから、校内ではサッカー禁止になった。
 ブラジルは子供が路地裏や道路でサッカーをやっていても何も注意しない。それどころか、大人も子供達に混じってプレイを楽しむ。ここのところにスポーツ文化の決定的な違いがある。学校や公園でサッカーを禁止するような土壌では健全なスポーツ文化は育たない。あの時の、縄跳びが得意なあの体育の教師は、今回のこのW杯をどこでどういうふうに観ているのだろう? 相変わらず、縄を飛んでいるのだろうか? 僕はその時、「中学になったら、絶対サッカー部に入って、思いっきりボールを蹴ってやろうと心に決めた」・・・・・・・
 そして70年W杯メキシコ大会。勿論日本ではテレビ中継など無かった。1ヶ月遅れの「サッカーマガジン」で色褪せたニュースを知ることになる。この大会から、イエロー・レッドカードが登場し、二人までの選手交代が認められるようになった。また、この大会で初めてアジア・オセアニア地区、アフリカ地区からそれぞれ1チームずつ出場できるようになった。世界のサッカーが変わり始めた黎明期であった。それは、僕が中1の秋、初めて試合に出してもらった時だった。1年生部員は3人だけ。いずれも僕が誘っていやいや入部した友達だった。僕はペレに憧れ、顔を黒く塗った。鎌田君は、イギリスの天才GKゴードンバンクスに憧れ、クモの格好をして来た(バンクスは、ゴールにクモの巣を張り、絶対ゴールを割らせないという意味で、タランチュラの異名をとっていた)。種田君はフランツベッケンバウワーに憧れ、ドイツ語で「ハイル・ヒットラー!」と叫んだ。皆、訳が分からなかったが、「サッカーマガジン」が1ヶ月遅れで入荷する九州の田舎町で、僕らは真剣だった。あれから、32年の月日が経った。あの頃テレビでも観れなかったW杯が自国で開催されるとは夢にも思わなかった。前回のフランス大会では、日本が初出場で泣いた。「翼を下さい」を大声で歌った。 そう言えば、丁度この年の6月にフォーカスされ、アルゼンチン戦の翌々日、風俗問題で任意の事情聴取を受けた。あれから、4年か~ あぁ、思い出すな~なんて感慨に耽っている場合ではない! そんなことはどうでもいいのだ! とにかく、今回は開催国である。しかし、我国のサッカー史はこんなに順風満帆でいいのだろうか? 何だか恐いくらいだ。 これでいいのだ。 これまで遅れていた分を一気に取り戻すのだ。 それにしても、毎日毎日どうしてもテレビで試合を観てしまう。フランスとウルグアイ戦、泣けた。両チーム合わせて29本のシュート、42のファウル、一人の退場者を出したにも関わらず、結果は0-0のドロー。正に死闘。国の威信と選手個人のプライドと夢をかけて死闘を演じる選手達。縄跳び先生は彼らの死闘を観て今ごろ何と思っているのだろうか? 日本のサッカー文化の発展を10年遅らせたのは、あの縄跳び先生とサッカーボールくらいで腰を抜かした給食室のおばさんなのだ。彼らがいなかったら、ドーハの悲劇は起きなかっただろう! いやもっと前の、木村、水沼、都並達にワールドカップのピッチを踏ませることができただろう! どうしてくれるんだ? NAWATOBI・TEACHER! and、OBASAN! 
 因縁の対決、イングランドとアルゼンチン戦も泣いた。オーウェンが取ったPK、あれは相手DFは触っていない。でも、それがW杯なのだ。今日は、イタリアがクロアチアに負けた。ここでも疑惑のジャッジがいくつかあった。イタリアはちょっと悲運だった。まさに波乱のW杯だ。フランスに勝ったセネガルのMFファディは万引きで捕まった。何故だ?  W杯の代表選手が何で万引きなんかするんだろう? 貧乏なのか? 買うという文化がないのか? 生理だったのか? 分からない! でもそれがW杯なのだ。でも、セネガルがフランスに勝った時は感動した。’60年までフランスの植民地支配を受けていたセネガル。パリ・ダカールラリーの終点、セネガル。砂漠と野生動物の国セネガル。そんなセネガルが、やっとフランスに勝てたのだ。歴史的瞬間だった。でも万引きはいけない。何で万引きするんだろう? 3万円のネックレスくらい買えよ! 貨幣を知らないのか? もう物々交換の時代は終わっているんだよ! また、同じアフリカのナイジェリア。 ナイジェリアのDFウエスト選手は試合中、瞼をざっくり切ったが、ピッチサイドで医者に縫ってもらっていた。病院行かなくていいの? でもこれがW杯なのだ。ピッチの脇で、瞼を麻酔なしで縫合してもらっている選手を観て、縄跳び先生はどう思うのだろう? 君も縫ってもらえ! 縄跳び! でも縄跳びで瞼は切れない。しかし、冬寒い時、縄跳びの縄が足に直に当たると死ぬほど痛い。あれは本当に痛い。いやいや、それがどうしたっていうんだ? こっちは、瞼を裂傷していて医者に縫ってもらっているんだ。「君は、雑巾か?」と言う突っ込みもさることながら、恐るべし、アフリカ! でもその雑巾が、いやそういう戦いこそが、W杯なのだ! 観たか! W杯の凄さを! え? 縄跳び・Teacher! そして、おばsan!
 あぁ、今日は、ついに運命の日本対ロシア戦だ! 思えば、日露戦争以来の因縁である。思えば日露戦争に勝った時、日本にはたった2発の大砲しか残っていなかった。ロシア国内に革命が起きたからやっと勝てたのだ。今日、ロシアに革命起きないかな~~レーニンはいないのか? フルシチョフは? いないか~がっかり! 縄跳び先生がロシアで革命起こさないかな~縄跳び革命! 4段飛びから交差5段飛び!わぁ、すげぇ!って感心している場合じゃないっつうの! 第二次大戦後、日ソ不可侵条約を勝手に破って日本に侵攻して来たロシア。思えば北方領土問題はそこから生じたんだ! ロシア! ようし! ロシアよ、明日、うちが勝ったら、北方領土をきっぱり返してもらう! ドローだったら国後・歯舞だけ返してもらおうか? もし負けたら、縄跳び先生とおばさんをくれてやる!って、まぁ、冗談だけど・・・・・・・それくらいの意気込みで明日、いや今日は戦うのだ。日本一丸となって・・・・・・・・国家の威信と国民の期待と名誉、選手個人のプライドをかけて是非、今日は横浜のピッチに日の丸を掲げて欲しい! そういえば、今日、夕方6時から僕と中西さん(元グランパス)と、TBSラジオでサッカー放送を生でやるよ! じゃぁね~ヒアウイゴー!