28日(金)Extension のTOEIC、冬期の講義が終了。最後に、先生に「今日が最後ですから、皆さんで食事にでも行きませんか?」と誘われたが、断腸の思いで断り、家に真っ直ぐ帰って、走った。どうしても走りたかったのだ。昨日、強風で、2000mのタイムトライアルができなかったので、どうしても今日(2月中に)やりたかった。
 で、とうとう悲願の、7分切りを達成できた! 決して身体の調子は良くは無かったのだが、風が弱かったので、とにかくトライした。1000mを過ぎたあたりから、花粉症のクシャミが止まらなくなり、右足の太腿もつりそうだったが、それでも歯を食いしばり、半分べそをかきながら、腿を上げた。残りの200mでは、本当に心臓が口から飛び出しそうだった。気が遠くなった。一瞬、気絶するかと思った。
 記録達成した瞬間、思わず、天にガッツポーズを突き上げた。周りのランナーが奇異な目で見た。 その後、じわりと涙が出て来た。またまた、周りのランナーやスケボーやっている若者達が、変な目でこちろを見ていた。深夜、中年のおっさんが、何が起こったのか、ガッツポーズしたり、小躍りしたり、泣いたりしているのだ。そりゃぁ、奇妙な光景である。
 でも、何か、感動した。この言い知れぬ感動を得るために、走ったり勉強したりしているのだ。中々、普段の芸人としての仕事や生活では味わえない何とも言えない感動だ。その昔、マラソンの有森さんが「自分を褒めてやりたいと思う」と言ったが、その言葉の意味が本当に良く分かる。
 所で、最近BBSでカキコされている「芸人らしく・・・・・」という表現である。何をもって「らしく」なのだろうか? 不明である。 それぞれ個々に、固定観念があるようだ。芸人はこうあるべきだ、とか、○○はこうあるべきだ。 非常に保守的(ネオコンサバ)で危険な考え方である。 それらがエスカレートし拡大解釈されると、男はこうあるべきだとか女とはこうあるべきだ、と、とんでもないバイアスと極めて狭い視野に陥るようになる恐れがある。 
 以下、「なる」という表現はニュアンス的に語弊があるので「やる」という表現を使うことにする。
 芸人が、画家をやろうが、映画監督をやろうが、政治家をやろうが、思想家をやろうが、大学の先生をやろうが、実業家をやろうが、眉間に皺を寄せて渋い役者をやろうが、真面目に政治番組の司会をやろうが、真剣にスポーツに取り組もうが、基本的には、ご本人の自由選択である。また、芸人が芸人を辞めて、サラリーマンになろうが、ラーメン屋さんをやろうが、犯罪者になろうが、本人の自由意志なわけである。 誰にも、とやかく言えない。 
 僕が考える芸人の定義は幾つかあるが、その一つを紹介する。 芸人とは、(芸人に限らずだが)、様々な人間行為に興味を持ち、それらを実体験したり、修練したり、習得したりする好奇心と向上心を持つものが、そうである。
 それが、観る(接する)側にとって不快であれば、観なければ(接しなければ)いいだけのことである。観る(共感する)のも観ない(共感しない)のも観る側(受け手側)の自由選択である。こういう日記を公開しているのも自由意志、それに意見を発するのも、発しないのも自由意志である。僕は、それらの多くの意見に広く耳を傾け、多くの人々とコミュニケーション(対話)をするために、その一つ一つにできるだけ、自分の意見や考え方を含め、レスしているつもりである。その為に、BBSを開いているのだ。 
 ビル・ゲイツは「BBSは所詮、便所の落書きだ」と言った。確かに、そうかも知れない。 誰が書いたかも分からない便所の落書きに一々レスするのは不毛かも知れない。 しかし、便所の落書きコーナーを設けている以上、それらにレスするのは義務であると考える。 が、折角の問題提起に、こちらが論理的に答えようとすると、何の議論も返って来ない無思考者や無責任者の存在には、やはり打ちひしがれる。 また、40を過ぎた中年のおっさんが、ちょっとセンチメンタルにノスタルジィに浸っただけで、文句を言われるのには、やはり閉口する。 まぁ、それこそが、便所の落書きたる所以であり、それがこの国のコンテンポラリィな現実なのだろうけどね・・・・・・・・・・
 それはいいとして、また、話は元に戻るが、まだまだ、僕の挑戦は続く。前に、2000mのタイムトライアルしたのは、2月3日。その時のタイムは、7分00秒56だった。あれから、25日。 25日かかって、5秒縮めた。さぁ、3月29日の『TBS感謝祭』までに、6分50秒を切ることができるであろうか? 英語、政経に併せて、日々の闘いは続く!