サンスポ原稿 9・27分 誕生日  9・16、44回目の誕生日を迎えた。自分が44歳になるとは思わなかった。何故か、今回、多くの人に「誕生日おめでとう」なんて、ちょっとお尻の痒い言葉をかけられた。でも、どうして「おめでとう」なのだろう? 死に1歩ずつ近づいているのに…かけがえの無い時間を消費したのに…何で? ここまで生きて来れておめでとうなのだろうか? 一年に一度、出産と言う母の偉業に感謝する日なのか? 今一つ意味が分からない。僕が、誕生日を余り面白く思わないもう一つ理由がある。それは、小学校3年の頃、クラスの女の子の誕生日に呼ばれたことがあった。普段からピアノを弾く清楚で裕福な家庭の子だった。その子のお母さんが、「プレゼントなんて気を使わないで、どうぞ気楽に手ぶらでおこしになってね」なんて言うもんだから、本当に手ぶらで行った。宴もたけなわになって、そのお母さんが信じられないことを言い放った。「さぁ、皆さん。ここらで、プレゼントの贈りっこをしましょう」 我が耳を疑った。プレゼントは要らないと言ったじゃないか? 大人の建前と本音の矛盾に愕然とした。もっと驚いたのは、呼ばれた皆がプレゼントを持って来ていた事だった。友人の欺瞞に胸が引き裂かれそうになった。結局、何も持って来ていない僕は大恥をかき、うじ虫のように小さくなった。その失態を挽回しようと、当時大好きだった歌を大声で歌った。曲名は『ドナドナ』。「ある晴れた昼下がり、市場へ続く道~~荷馬車は、ご~とご~と……」その時、例の母親が、すっくと立ち上がり、「ごめんね、東君。その歌、落ちこむから止めてね」と言いやがった。すっかり、めげた東少年は、帰り道、背中を丸め、売られて行く子牛のようになっていた。