「人生がもし舞台なら、一体何幕あるのだろう?」とその人物は僕に聞いた。そして「その幕間には必ず不可逆変化が起こりますよね・・・・」と続けた。
 
 摩擦や抵抗がない理想的な力学的変化は可逆変化であるが、実際の変化は全て不可逆変化である。
 
 月(満月)が出ていないから、月光浴が出来ないと嘆いている人がいる。
 兄が末期癌で、「既に意識障害が起き、幻想を見出している」と言う人がいる。「彼に、意識があったときは、死に対する恐怖で泣いたりしていたが、今、その恐怖からも解放され、自分が癌であったことは最早過去のことであると認識している」と言う。
 彼は、「兄が今、幸福なのかどうか? 分からない」と言った。
 
 僕はというと、ここ2日間走れずに少々苛々している。そんなことでストレスが溜まっている自分が嘆かわしい。
 
 13日(土)在京義友会に出席。関東に在住している、都城泉ヶ丘高校並びに旧制都城中学校出身者の会。
 OBで、さるIT長者氏が「僕に会いたい」と希望されているという旨の打診を、幹事さんから受けた。勿論、出席した理由はそれだけでは無かった。去年も出席出来なかったので、今回は出席させて頂いた。
 
 IT長者氏のホリエモン氏や村上氏に関する話はリアルでとても興味深かった。
 村上氏が急遽、拠点をシンガポールに移した理由も納得出来た。
 
 会では様々な方とお話出来た。
 都中から海軍兵学校を出、広島市沖で停泊中の潜水艦の乗組員として、原爆に立ち会い、終戦をお迎えになった御仁にこう言われた。
 「東君、何事も腹を括って臨んみゃんせ! 過去のことなんか気にすることはなか!」
 死をも覚悟し、先の戦争に立ち向かったこのご老人の人生は、これまで一体何幕あったのだろう?と僕は思った。
 
 かの土佐勤皇等の武市半平太は、切腹の際、腹を三段に掻っ捌いたという。
 自分の腹を自力で3回刺し、その度に横に3回切り裂いた切腹の仕方。その覚悟と潔さと根性と執念に、介錯人の上士が、武市のことを敵で且つ蔑んでいた下身分にも関わらず、思わず「お見事!」と叫んだらしい。
 
 その2回目辺りで、介錯人が武市の首を介錯しようとすると、武市が「まだまだ~!」と叫ぶ。
 凄まじいあの場面が僕は好きだ。まさに武市の一世一代の不可逆的ステージがそこにある。
 
 僕は、最近、インターバルの時、特に2本目、最も苦しいときに、心の中で「まだまだ~!」と叫ぶようにしている。勿論、武市半平太には遠く及びもつかないが・・・・・・・
 
 よく人は、誰それの生まれ変わりという話をすることがある。
 しかし、僕は、時間は直線的で不可逆性のあるものと、了解している。どうしても輪廻するもの、つまり循環性があるものとは考え難いのだ。つまり、舞台が何回も巡って来るとは想像し難い。
 
 冒頭の彼は、今、私的小説を書いているらしい。僕が今、最も読みたい小説の一つである。
 彼は、人生は一体何幕あると、結論付けたのだろう?そして、そこに必ず存在するパラダイムシフトをどう問題提起するのだろうか?