11日(日)朝練、代官山~渋谷コース、10km。午後、世田谷公園コース、6km走ったら、右足の付け根に違和感が走る。ちょっと、急に走りすぎかな~
 午後4時から、早稲田の「松の湯」に行く。やっぱ、午後4時の銭湯は、さすがに人が少なくていい。入っているのは、3~4人である。一人の御年寄りと、一人の若者に話しかけられる。御年寄りは「早稲田のことなら、何でもわしに聞きなさい!」とどこにでもいる町の長老的存在であった。もう一人、僕に話かけて来た青年は、数年前に早稲田(法)を卒業し、そのまま早稲田に住み付いたのだそうだ。彼は、最初、水風呂で瞑想に耽っていた。面白い奴だな~と思っていたら、僕に「東さん、いつかの、ここが変だよニッポン人で、東さんが、気功にかかっていましたが、あれは本当なのでしょうか?」と聞いて来た。 我々が、提示した表現に対する様々な問いが、個々人の中に、半ば永遠のテーマとして残ることがあるのだ。
 銭湯を出て、5時から、社会人ネットの新歓コンパ。夕方、5時ということ、前の日余り寝てなかったこと、走ってから飲んだこと等悪条件が重なり、すっかり酔っぱっぴぃだった! 途中で、スピーチを頼まれ、何か、ずっと喋っていたような気がするが、余り記憶に無い。どうやら、参加した皆さんには、喜んで頂けたようだったけど・・・・・・・
 社会人ネットの1次会後、以前から誘われていた、「HYGGE」というサークルの飲み会に顔を出す。高田馬場の「お化け食堂」という都城の後輩がやっている店だった。彼らが、「お化け食堂」を指定したのには、驚いた。僕は、前々から勿論「おば食」は、良く知っていたが、彼らもお得意様だとは、全くの偶然。「HYGGE」の代表の庄司君、佐藤君初め他のメンバー諸君も、中々熱く、感じのいい青年・女史達であった。
 彼らの飲み会から、今度は、社ネットの二次会に行く。もう、へろへろかっぱっぴーである。何が、どうなって、どうしたのか、さっぱり覚えていない。今日、唯是君や福島ゆりに、僕の、まるで中島らも氏のような数々の奇行とおとぼけな失態を聞き、改めて赤面する次第だった。酒、まさに屋上屋を架す! である。
 12日(月)午後から、7限まで、みっちり学校。しかし、ちょっと集中力を欠く。7限終わって、学食で、今泉氏の「PCで自己の世界が変わった宣言」を聞く。今泉君は、最近、PCを買い換えたばかりで、毎晩、そればっかり弄っているらしい。そして人生観が変わったのだそうだ。水曜日、学祭の和田助教授と高橋代表に会わなければならないのだが、僕はもしかしたら都合が悪くなるかもしれないので、その時は、今泉君に行ってもらおうと思い、彼に頼んだ。すると、今泉君曰く「大阪プロレスができれば、何でもしますよ!」皆、頭をかかえた。
 今回の学祭のそもそもの言い出しっぺである福島ゆりは「学祭が駄目なら、お正月公演をやらへん? どっかで!」「どこで?」「新宿コマとか・・・・・・」「何や、それ? わっしらは、細川たかしか?」
 話していると、政経学部から、男女二人が、政治談義したいのですが・・・・・と、僕らを尋ねて来た。将来、佐賀県知事になりたいという佐賀出身の女性と、もう一人、久留米出身の男性。ちょこっと、地方自治について立ち話。北川元三重県知事がお辞めになったのは、健康が理由だけでは無い筈、何か目論見がある筈である。 平松元大分県知事、宮城県知事ら、改革派知事の県政について・・・・・・また、今度新しく当選した佐賀県知事、確か43歳くらいで、田中のやっちゃんの最年少記録を抜いたんじゃないかな? まぁ、そんな四方山話をつらつらとね・・・・・・・・・
 帰り、すっかり暗くなった正門辺りで、早稲田祭代表の高橋君とばったり出くわす。彼らが付きつけた4つの条件。それらを僕らが誠実かつ情熱的に達成しようとしている矢先、「例え、それらが達成されても戸山キャンパス祭は、物理的に無理でしょう!」 という冷徹なレス。 それを、どう受け入れろというのだろうか? 理解に苦しむ。 僕が、「もう話すことは無いような気がする。話しても進展は無いのではないだろうか? 屋上屋を架すだけだ・・・・・・」「僕らスタッフは、総撤退をする意志を固めた・・・・・・」と言うこと等を告げるも、「一応、水曜日、夜9時、和田先生も是非お会いしたいと仰ってますので・・・・・・」 翌、木曜日、ドラマの撮影で早いんだよな~科白も覚えないといけないんだよな~ 
 学校からの帰り、水道橋博士と電話であれこれ話しながら、何故か、三島が死んだ理由について考えていた。
 1)やはり、共産主義への苛立ちと絶望は第一にあったろうと思う。60年代から、世界を二分した、マルクス主義とファシズム。そして、その二項対立の消滅化。68年の「プラハの春」で知られる「ソ連軍」、正確に言うと「ワルシャワ条約機構軍」の侵攻。僕に言わせると、あれは最早共産主義の壊滅を意味していたと思うのだが・・・・・・・
 2)退廃とニヒリスム。 現在の我々を襲うニヒリスムを三島は先駆していた。無制限に開かれた空間軸と時間軸の中では、空虚かつ無内容に自分を閉ざさざるを得なかった。他者破壊では無く、自己破壊に、やはり三島らしい「倫理性」を見る。
 3)69年総選挙の自民党の圧勝。最大の護憲勢力に成り得る自民党。とても、憲法改正など望めない。前の年の「新宿騒乱事件」等による軍隊の必要性。「調和ある平等より、創造的混沌」左翼のニーチェ化である。
 4)大人の子供化。大衆の幼稚化。愚民化への憂慮。三島の杞憂は的中し、やがて大衆は無能化・愚鈍化した。その証拠に、今、三島を本当の意味で知り得る若者は皆無に等しい。名作『金閣寺』で、今で言う引き篭もりの主人公が、有為子という少女を待ち伏せするシーンのあの心理描写。彼は、もう既にあそこの時点で自らの死を確実に洞察していたのではないだろうか? 
 三島が死んで、僕は勉強を止めた。目標が無くなったからだった。
 私淑する最大のカルト集団「楯の会」。今、僕が、偏狭な全体主義にひた走る早稲田祭運営委員会と相変わらず硬直したニッポン社会主義、閉塞的な事務所の運営等を憂慮し、唯是君や山口君らを引き連れて、36号館に立てこもったら、さぞかし、庄司君と佐藤君、びっくりするだろうな~~いや、割腹は、今泉君にしてもらおう。 今泉君の割腹姿見てみたいな~~軍服どんなのがいいかな~~そして、我々は、36号館の屋上から、まさに、屋上屋を架すのだ!