御無沙汰! やっと、ブラウザのメンテが終わったみたいで、日記の更新ができるようになった。
 4日(金)大阪の生放送「2時ドキッ!」終わりで、大阪伊丹空港から、宮崎に飛んだ。途中、ハイジャックでもしてみようかな? とふと思った。「この飛行機は乗っ取った! 今すぐ、米軍が制圧した、バグダッド、サダム・フセイン空港に行け! 行きたくなければいいけど!」
 結局、何にも無しに、全日空最終便で宮崎に着いた。いつものように稲森が、宮崎空港に15年落ちのボロボロのパジェロで迎えに来てくれていた。あいつは、空港のことを必ず「飛行場」と、やけに軍事めいた言葉を使う。
 途中、高速の出口で宮元先輩と落ち合い、そのまま、中村県議の選対本部へ挨拶に行く。軽く翌日の打ち合せをし、宮元さん、奥さんの3人で、「こって牛」と言う居酒屋さんで食事。鰯の竜田揚げ、ニラレバの味が、都城的でとても美味しかった。翌日が早いので、僕は酒を控えた。ホテルに戻り、選挙や地方自治の資料の読み込みなどしていたら、結局一睡もできなかった。
 翌日、6時30分から支度をし、7時30分選挙事務所へ。 直ぐに、ワゴンの選挙カーに乗って、市内遊説・呼びかけに出発。4人のうぐいす嬢が、交代で連呼! 「中村幸一、中村幸一が立候補のご挨拶に参りました!」辺鄙な県境からスタートしたので、辺りに民家は無い。それでも、山・田・畑・自然・牛・豚に向かって、叫び続ける。凄いパワーとエネルギーだ! 時々、遠くで牛が「も~!」 犬が、拡声器の声に呼応して「わぉ~! わぉ~!」と雄叫びを上げる。新人さんのうぐいす嬢は、こう言う比較的過疎な場所で練習を重ねるのだそうだ。
 一日、一体何回「中村幸一」と連呼するのだろう? と思い、最初数えていたが、200回で断念。 因みに200回はわずか30分であった。
 街頭の呼びかけは、騒音の関係から、法律で朝8時から夜8時までと決まっている。それでも、養鶏場などは静かにする。鶏が興奮して暴れ出すのだそうだ。牧歌的というか田舎の選挙運動は面白い。街中に「忌中」の所があれば、マイクでお悔やみを言うのだ。 もし、結婚式があったら、お祝いの言葉を叫ぶのだろうか? 祭りがあったら、「わっせ、わっせ」と掛け声をかけるのだろうか? 泥棒がいたら「泥棒!」と叫び、「泥棒さん、中村幸一をよろしく!」とか言うのだろうか? でも、そんな勢いだ。 火事を発見したら、「火事だ~!」。でも、きっと立候補者の名前は忘れないと思う。 「火事だ~ 中村幸一でございます! 中村幸一も燃えております。 皆さん、火事です! 中村幸一、中村幸一をよろしく! 」とか、言いながら、119番に通報し「こちら、中村幸一です。只今火事を発見。中村幸一です!」とか・・・・・・・・・
 丸一日の走行距離約160km、市の端から端まで、ゆっくりゆっくり走行しながら、満遍なく網羅する。 まさに、選挙は、忍耐と体力と根性である。
 我が都城には、農村部にも都市部にも、それぞれ直向きで質素な生活と個々人のささやかな人生がそこにあった。 生まれて初めて訪問する地区もあった。 隅々まで、こうやってゆっくりじっくり眺めると、都城の現状と、置かれている生活環境がよく分かった。 盆地にしては広大な農村地区では、農作業をしている農家の人々が、作業の手を休め、遠くから手を振ってくれたりする。関係の無い僕まで、何かとても嬉しくなる。すかさず、うぐいす嬢が、「ありがとうございます。遠くからの、手を振ってのご支援、誠にありがとうございます。ようく、見えておりますよ!」と叫ぶ。
 この日巡ったのは、主に農村地区だった。都城の農業人口は、専業・販売、第1種兼業、第2種兼業、自給的、全部含めて2万人強。 その約半数が、60歳以上の高齢者である。 そして、年々、農業人口は確実に減少している。切実な問題である。大規模化、機械化、特色化、後継者の育成・・・・・・様々な問題がある。でも、農政の新ラウンド交渉がな~~何人とか、何世帯とかの共同化をはかる・・・・・・・畜産の質の向上化、新たな特産物の開発、広報、魅力ある農業の模索、農業技術の更なる向上、外国人就労者も含め農業従事者以外からの雇用、国際化、株式会社等普通の会社の参入(規制緩和)、市場原理・民間流通システム導入の更なる強化、農村地域の生活環境の整備、医療・福祉の充実、汚いとか重労働とか安い収入とかいうイメージを払拭し、明るく楽しくやりがいがある仕事だというイメージにシフトさせる、浜崎あゆみのJAのCM起用、木村拓哉のドラマ「グッド・ファーマー」の実現・・・・・・今後、様々なアイデアが必要であろう。
 それにしても、丸一日、実に様々な場所を遊説した。鯉の養殖場、レストラン、滝、路地、桜の母智丘(もちお)、高齢者のゲートボール場、そこここには、粒粒辛苦とした誠実な生活があり、確固たる民の息吹が実在した。 それらは、僕を生み育てたこの地の、昨今僕の心と魂を掴んで離さない着実な胎動の正体でもあった。
 遊説には、中村候補の長男の、知的障害を持つ、剛仁君(35歳)も、セカンドカーに乗り、付き添った。 丸一日、一緒にいると、不思議なことに、彼と、何となく意志疎通ができるようになった。
 夜7時くらいに、やっと外回りが終わった。 一睡もしていないし、慣れない遊説で心身共にフラフラ・疲労困憊の極値。 しかし、7時30分から、地元公民館での個人演説会が2箇所。 まさに、政治家は知力と体力だ。 僕も挨拶の指名を受けたので、僭越ながら壇上に立たせてもらった。 地元住民の皆様の暖かい声援と笑い声が、疲弊した身体を何とか立て直してくれた。 1ヶ所目の大根田公民館での挨拶が終わった時、中村県議の後援会会長さんの長濱氏(79歳)が僕の横に来て、「あんたは中々大物じゃの~ よかか、自分の過去を恥じいることなかれ! あたいは、海軍をあがってから、小倉で沖仲仕をしちょった頃、1000人切りをやろうとしたっじゃが、700人しかできんかった! わっはっはっ! あんたのやったことなんちゃぁ、こまい、こまい、気にすっことのほどじゃないが! わっはっはっ! 思う存分やんなさい!」 豪快な老紳士・老獪である。彼は、豪快に笑った後、メモ用紙を取り出し、そこに筆ペンで「涙の川 苦労の山 あっての人生!」と書いた。達筆だった。僕は、少しの間、じっとそれを見つめていた。外から吹き込んで来た風に、少しだけ初夏の臭いが混ざっていた。
 多くの人々に励まされ、助けられ、一人の政治家が存在するのだ。 政治家を存在せしめているのは、ゆるぎない民の意である。 よって、民の質がそのまま政治家に反映する。 政治家の質は、民度の尺度なのである。 
 2ヶ所目の志比田北公民館でも、200人くらいの支援者で満杯であった。 その中で、地元市議らが応援演説。 またもや、僕も挨拶の指名を受ける。地元の有権者の方々から、暖かい拍手と声援の嵐。 僕の、他愛も無い放言を、実に丁寧に傾聴して頂き、一喜一憂、破顔一笑、一顰一笑、感謝の念で一杯になる。 中でも、もっとも、胸が熱くなったのは、200人くらいの聴衆の一番後ろで身体全体で喜んでくれていた、剛仁君の姿だった。
 その後、一日の疲れを癒すため、近くの都城温泉の湯船に浸かりながら、政治家って一体どんな存在なのだろう? と考えた。そして、何が、彼らを政治という不透明で不安定、魑魅魍魎・百鬼夜行且つ難解でカオスな世界へと駆り立てるのか? と考えた。 それは・・・・・・志か、希望か、強欲か、権威・権力指向か、執着か、期待か、夢か、独自の未来観か・・・・・・・憎悪か、愛憎か、怨恨か、裏切りか、断絶か、失望か、絶望か、貧困か、冨か、便益か、策略か、姦計か、一体何なんだ?・・・・・・・・・正義か、快楽か・・・・・・・・・・熱情か、誠実か、信望か、威信か、誠意か、実行力か、創造力か、責任感か、先見性か、判断力か、威厳か、親近感か、自己顕示か、愛か・・・・・・・・・・・生か、死か・・・・・・・・・・・神か・・・・・・そこに収斂された、ありとあらゆる人間感情、信条思想、生活行為、思考哲学、どれに対峙しても、振りかえるとそこに「SEIZIKA」という文字が実存した。