15日(木)宮崎から東京へ。
 TX「みのさんの月曜エンタメ――自転車本州縦断10DAYS」スタジオ収録(1月23日(20時~22時OA)。 
 15日(木)は宮崎も東京も快晴。上空から宮崎の様子がくっきり・はっきり見えた。宮崎平野から遠く都城盆地まで見渡せた。その景観はとても美しかった。絶景と言っても良かった。先日、自転車のトライアルで観た「松島」より数段絶景だった。
 
 宮崎市、上空から見たら、案外小さいというか狭かった。実際、JOGしたりすると広いのに、上空から見るとまるで模型・箱庭のようだった。「これが30万都市の規模なのか~」と率直に思った。 
 ああやって、上空から俯瞰で町を見渡すと、人間の、そして勿論僕も含め、人々の暮らしの小ささ、そして自分のちっぽけさを痛感する。
 人はあんなちっぽけな場所で悲しんだり、苦悩したりしているのだ。
 それを思うと何だか、多くのことが大したこと無い、へっちゃらのように感じられた。
 
 しかし、東京は大きかった。東京湾を取り巻く千葉から東京、川崎、横浜の所謂京浜工業ベルト地帯の景観は一種異常だった。
 都市の、日本の、いや人類の文明と叡智の限界を示しているように思えた。
 
 加えて、様々に起こる事件や事故、犯罪、天災や人災の数々、人々の矛盾、焦燥、苦悩、不信、不安、絶望・・・・・・・もしかしたら、もう世界(ここ)は末期・終末なのかも知れない、そう思わせた。
 
 収録後、19時の羽田発で福岡へ。
 福岡、霙雑じりの天気で走れず。
 これで2日連続のrest。
 
 九州管内で外食産業売り上げ№1という(株)プレナス・・・・・・要するに「ほっかほっか亭」に売り上げを貢献する。
 福岡のほっかほっか亭には「めんたい弁当」なるものがある。
 
 16日(金)福岡朝日放送「アサデス」。朝6時25分~8時生OA。
 終わって、ホテルに戻り、朝食を摂ってから仮眠。
 14時45分福岡発の便で宮崎へ。
 
 宮崎駅に一旦着いてから、空港往復を走った。
 宮崎駅から小戸橋経由の空港まで、最も最短距離を、この足で実際に走って確認した。これで、タクシーに微妙にごまかされずに済む(笑)。
 
 空港から走って帰る途中、空港から宮崎駅に向かう電車と少しだけ平行して走った。
 我が目を疑った。2両編成の電車には誰も乗っていなかった。本当に一人も客はいなかった。そんな筈は無いと思い、何度も確かめた。勿論向こう側の席も入念に確かめた。やっぱり誰も乗っていなかった。回送でもなかった(笑)。
 
 誰も乗っていない電車を見て、決めた!
 
 来年12月の青島・太平洋でサブスリーを狙う! 後、約1年後である。
 何で、無人の電車を見てそう決めたのか? 分からない。ふと自分の中に閃いたのだ。
 来年10月の綾か11月のつわぶきでハーフの自己ベストを更新し、12月の青太で一気に狙ってみる。その時、僕は49歳だ。
 そのためには、身体のメンテナンス・ケアーも含め、入念かつ長期的展望に立った計画、そして長い走りこみが必要になってくるだろう。
 恐らく、2006年は走りと勉強「チャレンジ」の年になると思う。
 僕にとってもしかしたら走りの自己ベストのラストチャンスになるかも知れない。2007年以降は恐らくいろいろな意味で忙しくなるかも知れないし・・・・・・・・・
 
 先日の青島太平洋、10km。そのタイムは38分34秒だった。
 前回、10kmを計ったのは、今年1月の鹿児島東郷町「梅花マラソン」だったと思い、この日記上でその時のタイムを見返してみた。
 「38分34秒」
 一瞬鳥肌が立った。全く、同タイムだった。
 今年の1月、結構走り込んでいた。10日間の自転車によるダメージも有りながら、今回あの時のタイムと同じであった。悪く言えば、進歩が無いと言おうか? 良く言えば、好く維持していると言おうか・・・・・・・・・
 
 今日、空港往復、約17kmをJOGしていて、勿論、足腰は痛かった。速くも走れなかった。それが、何か原点に思えた。
 誰も乗っていない電車。きっと、それはスタートの意味での、はたまた原点回帰の原風景だったのかも知れない。