今回は、あの和泉元弥(旧漢字が出ないので変換して下さい) 今回は、あの和泉元弥氏の新宿コマ劇場の公演を観に行った。この公演は、一時ワイドショーなどですっかり有名になった例のWブッキングの公演である。岐阜の公演と新宿の公演のスケジュールを、マネージャーで元弥氏の母(和泉節子氏)が同じ日に入れていたというあの事件である。何とか、タイムスケジュールを調整したが、それでも岐阜と東京(新宿)を約2時間で移動しなければならなくなった。そこで、岐阜から名古屋の空港に移動し、そこからヘリで東京へ向かうという離れ業に挑戦したのである。当日はテレビで生中継もされ、さながら重大犯人の護送か、引田天功氏の瞬間移動のイリュージョンばりであった。それを見ていて、実に時代は変わったなと思った。 僕がこの業界に入った23年前、漫才ブームの頃は、Wブッキングなんて当たり前だった。B・B師匠なんて、テレビ・ラジオ・公演と一日最大10本くらいの仕事を入れていた日もあった。それは移動なども含めると、時間的・物理的に無理で、人間・芸人の限界値を超えていた。茨城のホールで漫才公演をし、その後30分で横浜に行かなければならないなんてざらだった。勿論、その時もヘリを飛ばしたのだが、移動中のヘリの中で尚も漫才の収録をしていたくらいであった。もっと、以前の忍者の格好でネタをやっていたナンセンストリオ師匠などは、仕事場から仕事場へ移動するのに、忙しすぎて、着替えの時間が無いのだ。そこで、舞台衣裳の忍者の格好のまま新幹線に乗っていたと言う。又、タクシーで移動中、道路で渋滞にはまったので、タクシーを降り、忍者の格好のまま渋滞している車の隙間をスイスイと縫って走ったらしい。渋滞している車の運転手さんは、さぞビックリしていただろう。忍者が普通の道路を走っているのだ。 僕も、ある時、うちの師匠の運転手をしていて、静岡から東京まで1時間で帰らなければならない場合があった。静岡―東京間を1時間で、しかも車で移動するというのは、事実上無理である。しかし、「無理です!」なんて言ったら、当時のマネージャーの菊池(現在太田プロ部長)さんの鉄拳が飛ぶ。四の五の言わず、取り敢えず、トライしなければならない。あの時ほど、「車に羽が生えていたらなぁ~」と思ったことは無かった。とくかく、制限速度をかなりオーバーしても、アクセルを目一杯踏み、猛スピードで東名を東京方面に向かっていた。すると、突然、車(当時、中古のクラウンだった)のボンネットが火を吹き始めたのだ。後ろに乗ってる師匠に「師匠! 大変です! 火です! 車から火が出ました!」と叫ぶと、師匠が一言「よ~し! これで空を飛べるぞ!」 思えば、いい時代だった。  あの頃は、Wブッキングどころか、ある芸人の代わりに、他の芸人がその芸人になりすましてショーに出演することもしばしばあった。例えば、Wコミックというコントグループがいて、二つの仕事をWブッキングしていて、どうしても片方の仕事しか行けない。その頃、公演を仕切っていた興行主が怖いお兄さんだったので、まさか「Wブッキングで行けません」なんて口が裂けても言えない。そこで、同じ事務所で後輩の僕ら(その頃、大森うたえもん君とツーツーレロレロという漫才コンビを組んでいた)がWコミックの代わりに、Wコミックに成りすましてネタをやりに行かされたのだ。勿論、Wコミックと同じネタである。行く前に相当練習した。当時、Wコミックはそれほどテレビ露出が無かったので、田舎の方だと特に、誰かが代わりに行っても微妙に分からなかった。でもあの時はちょっとビビった。地元の興行主の怖いお兄さん達が、不信そうに僕らを覗き込むのだ。そして、「あんたら、本当にWコミックさんかい?」パンチパーマのいかにもという感じのお兄さんが僕らに凄んだ。Wコミックのレンジ師匠は、相方をころころと替える人として有名だったので、僕が「ハ、ハイ! 確かに僕らがWコミックです。レンジ師匠はまたまたメンバーを替えまして、メンバーを両方入れ替えたんです……」と訳の分からない言い訳をした。すると、相手は何となく納得していたようだった。古き良き時代だった。何の話だっけ? そうそう、大澄賢也! じゃなくて、和泉元弥! しかし、和泉元弥氏には、これからも移動時間の短縮の記録を更新して行ってもらいたいものだ。時間的に不可能だと言われた距離の移動を可能にして欲しいもんだ。東京―大阪、30分とか。東京―札幌、10分とか………そのうち、海外からの移動も有りである。香港―東京、2時間移動の旅なんてどうだ? 元弥と行く、最短時間の旅。ファンも一緒に移動する。さぁ、あのスリルを貴方もご一緒に! ついでに舞台にも出る。一緒に狂言体験! そのうち、それこそ瞬間移動というのもどうだ。それには、タネが必要なので、大澄賢也君や、芹沢名人とか、元中日の宇野選手とか、元弥氏に似ている人(厚化粧をすれば分からない)を仕込んでおいて、瞬間移動をするのだ。そうすれば、全国どこだって一斉に元弥を観られる。な、訳ないか! それで、公演の方なのだが、第1部が「天翔ける天使―義経と弁慶―」という時代劇。第2部が、出ました「和泉流宗家?狂言」。第3部が「グランドショー四季の絵姿」と題して、出演者が歌う、いわば出演者のカラオケ大会なのだ。一言で言って、全体的に長い! そして噂通り、小さい! その長さは、ちょっとした拷問。罰ゲーム。途中、それぞれ40分程の休憩があるのだが、その時間をどこでどうやって潰せばいいのか分からない。ロビーに出ると、おじちゃんおばちゃんの大群。しかた無いので、義経と弁慶の歴史本を読み、お陰で相当詳しくなった。でも、肝心な狂言は、15分ほどなのだ。あれ? それだけ? って感じ。狂言の舞台は、予想通り、あんまり良く分からなかった。彼が演技的に上手いのか、下手なのかも分からなかった。まぁ、そんなもんだろう。 元弥氏は、兼ねてからシークレットブーツの愛用者と聞く。時代劇でシークレットブーツは無いだろう、どうするのかな?と思っていたら、彼の履いている草履は、他の人よりかなり厚かった。そして、共演者に背の高い人がいないのも工夫の一つだった。 とにもかくにも、ここんとこちょっとイメージの悪い和泉元弥氏なのだが、僕の知合いで共演の西岡徳馬氏(弁慶役)に終わってから話を聞いた。徳馬氏によると、元弥氏自体は、とっても礼儀正しく実直な人なのだそうだ。セリフも初日の本読みから完璧に覚えて来たらしい。只、母親に頭が上がらないのだそうだ。そういう元弥氏。今後もバラエティに富んだ移動方法で我々を楽しませて欲しい。え? 芝居や狂言じゃねぇのかよ(三村風)!