先日の松井君(テレ朝・東大大学院)の結婚式で、松井君(新郎本人)が光ゲンジの「パラダイス銀河」を、会場をローラースケートしながら歌ってから、かの歌がずっと頭から離れないでいる。あれからCDを買って、必ず走る前に聞いている。何故か、嫌なこととか辛いことを忘れるのだ。で、僕の中で今密かに光ゲンジブームなのだが、今日、午前中関西テレビの楽屋でテレビを観ていたら、何と読売テレビの情報番組に諸星君が出演していた。何でも、毎週レギュラーらしい。いや~、マイブームだっただけにちょっと驚き、感動した。
今日は、関西テレビ「痛快エブリディ」(今日のテーマはゴミ問題)に生出演した後、東京に帰って来た。学校には間に合わなかったので、そのまま帰宅した。
今日は走りは休みだったので、映画「血と骨」を観に行った(因みに今日は映画の日だった)。昨今の韓流ブームとは対極にある究極の「純愛」が描かれていた。そして、人間の持つ「生」と「死」と「愛」の連携のプロセスが、吐くほどのリアリティとダイナミズムで表現されていた。キャンディキャンディをベースにしたかの韓流ドラマとは一線を画し、まさに「血」が通い「骨」のある作品に仕上がっていた。「ヒト」が形成する集団社会はまずカオスから発生する。そして、やがて幾多の紆余曲折を経過し秩序や整然へと向かう総論と、「血」「骨」という人々が自らではどうすることも出来ない血縁・血族としての運命――各論が見事に融合・調和した作品であったと思う。カオスは同時に極大のバイタリティとエネルギーを放出し、国家や集団・組織としての経済やパワーを膨張させ得る。その最も典型的なモデルが戦後の日本である。作品は現代社会に不在となった、絶対力による正当な秩序形成モデルが示されていると同時に、これまた現代社会で希薄となった「血」「骨」についての基底観念が問題提起されている。
主人公の金俊平は、日本に自らのカオスと矛盾をぶつけていたのか? あるいは自分自身か?祖国か?世界なのか? それとも戦争というシステムに対してなのか? 
主人公の姿は、拙著『ゆっくり歩け 空を見ろ』の西村と重なった。暴力を行使しているときの主人公は、饒舌だがとても悲しそうであった。まぁ、西村はあんなに暴力的では無かったが、自由奔放な生の様相がどこか似ていた。他には、昭和30年代の街並みの風景や人々の暮らしぶり、文化等がとても懐かしい感じがした。中でも映画に出てきたダットサンブルーバードとミゼットの三輪車は、その昔僕の家にあったものと同じだった。そういえば、劇中流れたちあきなおみさんの「喝采」は、昭和40何年のヒット曲だっけかな~? 意外だったのが、映画のストーリィや意味・歴史的背景等とはなんら関係無いが、濱田マリさんの乳房が豊満だったことだ。