ある雑誌に新潮社の編集者、郡司裕子氏が載っていた。あの『電車男』の仕掛け人らしい。ちょっとビックリした。彼女は僕の拙著『ゆっくり歩け空を見ろ』の編集担当者だったのだ。彼女は僕の文章を「文学だ」と言ったただ一人の人だった。
2000年11月くらいだっただろうか? 新潮社の近くにある古い日本家屋に缶詰にされ、推敲させられた記憶がある。寒くて幽霊が出そうな家だった。その昔、野坂さんが編集者の目を盗んで、雨樋を伝って脱出し、新宿に飲みに行ったというような逸話もある古い屋敷だった。一階には管理のおばさんが常駐している。二階の奥の和室には古い蒲団が敷いてあり、昔のラブホテル宛らだった。何日か徹夜でワープロを打った。一日も早くそこを出たかったからだ。1週間という予定が、3日くらいで終わったと思う。3日間くらいはそこから大学に通っていた。
でも、何だか自分が作家になったみたいで、ちょっと特異・得意な気分を味わえたことは事実であった。その郡司裕子氏、確か当時は結婚されていたと思ったが、その雑誌には「独身」と書いてあった。まぁ、人生いろいろだから(笑)。現在、僕の『芸人学生』を担当している編集者は、実業之日本社の竹村さんというこれまた既婚の女性である。実は、僕はこの竹村さんと郡司さんに同じ匂いを感じているのだ。竹村さんも将来とんでもないベストセラーを仕掛けるのかも知れない。今から楽しみである。
話は変わるが、15日(水)4限のゼミで、とある学生がレポート発表をした。テーマは「フリーターについて」。その発表の中で自分で書いたはずの(?)レジュメの漢字を読めなかった。教室には思わず失笑が沸きあがった。その漢字は「忌避」。その学生はその漢字の読み方を先生に聞いた。先生はこう答えた。「いひ」。誰にでも間違いはある。弘法も筆の誤りだと思う。僕は間違いを指摘させて頂こうかな?とよくよく迷ったが、終ぞ指摘出来なかった。これが僕等の世界の人間なら間髪入れず突っ込むところだが・・・・・・・・他人にそれも目上の人にそれも学者に「間違いですよ」と言うのはとっても勇気のいることだとつくづく思った。
よく文化人が使う言葉で気になるのが「喧々諤諤」。あれは本来は「喧々囂々」と「侃侃諤諤」が正しいのだが、今では造語になっている言葉である。後、よく政治家が使う「施策」。あれを多くの政治家が「せさく」と読む。正しくは「しさく」だと思うのだが、あれも政治的専門的読み方なのだろうか?