しかし世の中には凄い人がいるもんだとつくづく思う。社会言語学の授業でゲストスピーカーとして来られたバトラー後藤裕子教授。教授というので年配の方かな? と思いきや、30代半ば。スラリと長身の生粋の日本人女性。東大を出てカリフォルニア大で修士、スタンフォード大でPHDを取得された才媛である。現在はペンシルバニア大学の教授で、主に東南アジアの小学生の英語教育の実体を研究されているという。
驚いたのはその輝かしい経歴ではなく、講義の澱みない喋りであった。90分の講義中、聴力Cレベルの僕が聞いた範囲で、たった2回しか噛まなかった。夥しい数の言語、しかもテクニカルタームの数々が、まさに立て板に水に後から後から発せられるのだ。その流暢で正確な喋りにただただ圧倒された。まぁ、その種の講義には慣れていらっしゃるプロとは言え、恐るべしバトラー後藤裕子女子だった。
しかし、授業中どうしてああ私語が多いのか? 政治学原論、マスコミュニケーション史、国際社会関係論・・・・・・特に政治学原論のときは、何回も睨みつけてやったのだが、それでも全く私語を止めようとしない。一体、奴等の思考回路はどうなってんだろう? 去年の解析学のときは、堪らず注意した。今年も注意しなければならないのかな~ 大体、私語ってどうしてああ良く聞こえるのだろう? というかどうしてああ耳障りなのだろう? 健康診断で聴力Cの僕にでもクリアーに聞こえる。もしかしたら、僕の耳は私語などの波長を聞き取り易いのかも知れない。
学校の便所の外で、「今、そのまんま東が便所に入ってったぜ」「え? まじまじ?」「ぜってぇ、そう。そのまんまだった。やばいよ」「ぎゃはははは~」そういう雑音が聞こえて来る。「まじ、中に入ってんの? 俺、見て来ようっと・・・・・」そう言って、一人が便所の中に入って来る。僕はうんこをしている。「いねぇじゃん!」「多分、うんこじゃね~か?」「そうだ」「ぎゃはははは」
うんこもろくろく出来やしねぇ。広末さんが学校を辞めた理由や綿矢りささんが顔を出来るだけ露出しない理由が分かるような気がする。広末さんなどは僕の数倍いや数十倍の監視と干渉を受けていたのだろうな~ やれやれ。