今週から授業が始まっている。なのに政治文献研究(必修科目)が抽選漏れで未だに履修出来ていない。グッスン!
ここ数日、新しい科目の第一回目の授業だらけである。それはいいとして学校に学生が多すぎる。まるで祭である。まるで日曜の竹下通りである。まるで戦後の闇市である。まるでイナゴの大群である。まるで・・・・・・もういいっちゅうに。
教室もどこも満杯。こんなに入れてどうすんの?って感じである。まぁ、例年のようにゴールデンウィーク明けには大分減ると思うが。
で、五月蝿過ぎ。特に女子。勿論一部ではあるが。まぁ、きゃぁきゃぁ、わぁわぁ。新学期が始まり、高揚・興奮しているのは分かるが、それにしても教室でのお喋りが五月蝿い。休み時間とは言え、ゆっくり寝てられもしない。まぁ、20歳前後、鬼も十八番茶も出花(いやいやこれは失敬、失敬(笑))。箸が転がっても可笑しい年頃らしいから、致し方無いとは思うが(随分古い言い回しだね(笑))。それにしても五月蝿い。五月蝿いだけでなく、話がおもろくない。
某授業で、教授が出席を取るかどうか学生に聞いた。意外にも出席を取った方が良いという意見が多かった。試験一発での成績評価より、出席点で稼ぎたいという意図である。その先生は、某教授の代役で桜美林大学から今年1年だけという契約で来られた先生で、早稲田の学生を信用したのだろう。200人くらいいる教室で、出席カードが前から後ろへ学生の手渡しで回された。一番後ろに座っていた僕らには予想した通り出席カードは回って来なかった。明らかに前に座っている学生が複数枚盗っているのである。出席カードは授業後教卓に各自バラバラに置いて行くのであるが、このシステムは残念ながら不正し放題である。「秩序の喪失」。出席を取ることが決まった瞬間、前後左右で学籍番号や氏名の教え合いが始まった。やれやれ。最近の大学生とはそんなもんである。勿論一部ではあるが。
やっぱり、大学は軍事統制が必要かな? 各教室に武装した軍人が3~4人いて、前から回される出席カードを2枚以上盗った学生には銃口が向けられ、安全装置が外される。出席していない他者(友人等)の名前を書いて提出した場合、足許に向かって発砲。「出席カード不正への軍事的鎮圧」「秩序の是正」「国家の安定」
また、ある授業で、教授が約400人いる学生に聞いた。「今度のフジテレビ・ライブドア問題で、ライブドアを応援していた人は挙手をお願いします」数十人が手を挙げた。ほう、ということは後の300人強はフジテレビを応援していたのか? 「それでは、フジテレビを応援していた人は挙手をお願いします」僕は徐に手を挙げた。一番後ろの席にいた僕から見えた範囲で、手を挙げているのは僕だけだった。
イタリア語の授業は男性のイタリア人講師である。彼はどうやらジョークが好きみたいだ。笑っていいのかどうか分からないイタリアンジョークを連発する。ある学生があるイタリア語を間違ってフランス語で発音した。すると「イタリアはフランスと400年に渡り戦争して来ま~した。私達イタリア人はフランス人のことが大嫌いで~す。だからフランス語だけには間違わないで下さ~い。イライラしま~す」勿論ジョークだと思う。勿論このような民族・人種問題をジョークにするのは欧米ならではである。しかし、もし日本人教師が中国や韓国、北朝鮮に対してそのようなジョークを飛ばしたら大問題になるだろう。イタリアのジョークの質の是非は別にして、グローバリゼーションというのはそういうナショナリズム・ジョークも理解・許容しなければいけないということを再認識させられる。
14日(木)、身体の調子が良かったので、学校から帰って駒沢で計19kmのLSDをやった。その中に2000(7分40秒)と1000(3分30秒)の軽いインターバルを入れて見た。やっぱり軽く脱水ぎみになったが、ちょっとは耐えられるみたいである。運動性慢性疲労の可能性もあるし、まぁ、この1週間~2週間は無理をせず、JOGか長めのLSDに留めておこうと思う。その内、インターバルを走りたいと身体が欲するようになったとき、一気に走ろうと思う。
学校も始まったことだし、暫くは敬愛する「ガクモン」に陶酔してみようかなと思っている。で、今日、生協で教科書を購入した折、三島関係の本を買い、帰りの道中さらさらとページを捲った。自らの肉体を限界まで鍛え上げ、それを芸術とした彼の芸術論、文化的テロリスム。神話の英雄は母なる女と結婚するが、それが実現出来ない焦燥が同性愛への憧憬と変身する。「仮面の告白」「愛の渇き」「午後の曳航」等で描かれる変身願望。誰にでも出来得る身近なメタモルフォーゼ(変身)は「結婚」である。「神」を目指した確固たる視線。実現しなかった革命家(政治