今週の火曜日、TBSの『ガチンコ』という番組を見た。ちゃんと見るのは今回が初めてである。驚いた。 まるで、昔の『元気が出るテレビ』そのものだった。違うのは、CM後にCM前の状況が繰り返されることくらいか・・・・・・しかし、何故か、感動した。この世界に20年以上もいて、あんなの演出や編集の妙だと分かっていても、大検の生徒達と不良先生の別れのシーンには、思わず涙ぐんでしまった。スキンヘッドの不良先生が、「フレー!フレー!」と生徒達が乗ったバスに向かってエールを贈る。 バスが不自然に彼の周りを一周する。そんな~普通バスが一周する訳ないだろう?と疑念を持ちながらも、そんなことはどうでもよくなり、何故か、感動している自分がいた。テレビは、受けて側の創造力と想像力で見るものなのだ。想像力のない人間に限って、とかく「やらせ」だ「虚構だ」と己の創造力と想像力の無さが恥ずかしいのか、それともその事実に全く気付いて無いのか、隠蔽するために逆切れしてインネンをつけるのだ。不良先生が別れ際、気恥ずかしかったのか、強硬で乱暴な言動にでる。 彼のシャイをふんだんに演じ、そして不合格の結果を残し、去り行く生徒達に、力一杯のエールを贈る辺りで不覚にも涙を浮かべてしまった。 やぁ、いかん、いかん。歳をとると涙もろくなっていかん。なんて渋茶を啜る。 又、ファイトクラブというコーナーで、大阪帝拳の元世界チャンプの辰吉選手の言った言葉「この世に天才なんていない。人より努力した奴が天才なんだ。努力に勝る天才なしや」・・・・実にありていの言葉なのだが、彼のこれまでのボクシング人生の全てが集約されているような気がして、感動した。天才と言う名を欲しいままにしたあの天才ボクサーが、実は努力によって作り上げられていたことを本人の口から吐露されたことに新鮮な感動を覚えた。「ええ、番組やね~」なんて、オリジンの幕の内弁当を頬張りながら一人呟いて、又、渋茶を啜る・・・・いつのまにやら製作者の意図にずっぽりはまった視聴者になってしまっていた。 加えて学校では、文化人類学の先生が、「夏休み皆さんはどっか行かれましたか? 私は夏休み、1歩も家を出ずどこへも行かず、他だ只管フォークロアの文献を英語とモンゴル語で読んでいました。したがって、私には、夏休みの思い出はありません」とぽつりと言った言葉にまたまた感動。やはりこいつら常人ではない。僕には到底できないような気がする。 夏休み、宗教関係の一通り網羅的に勉強しようと思っていたのに、やれ富士山だ、黒部ダムだのと、現をぬかし、勉強の方は中途半端になってしまった。やはり、功成し名を遂げる人物は、一見変わり者かもしれないが、確固たる理念と信念を持ち、その理念なり信念なりに基づいて実行できる人物なのである。例えば、Qちゃんのように・・・・・・・