今回の事件が勃発したとき、アメリカは、まず全土の飛行場を閉鎖し、その時飛行していた国内の全飛行機に、近くの飛行場への着陸命令を出した。驚いたのは、それを無視して飛行している飛行機は打ち落として良いという命令を出したことである。政府というのは、こういう予期せぬ事態が勃発したとき、国民の安全とその財産を守るために、やるべきプライオリティを即断し、迅速に機能させることが要求される。また、その機能のあり方で、その政府の能力と資質が計られる。今回、アメリカは、即座にプライオリティを設定し、トップダウンでそれらを迅速に機能させた。それは、第二第三のテロ、将来起こりうるであろう悲劇とその被害を最大限食い止める的確な判断と努力であったと考える。これこそ政治の本質とも言える。もし、アメリカと同じスーサイドアタックが、我が国で起こっていたら、アメリカと同じ対応が果たしてできただろうか? 甚だ疑問である。また、国内で今後報復テロが起きた場合の政府や国民の対応は果たしてどうであろうか?飛行機が乗っ取られ、東京に突っ込んで来るときに打ち落とすことができるだろうか? こんな非常事態に最も次元の低い議論は憲法論争だ。飛行機がハイジャックされ、東京或いは原発に向かっている、まさにその時、「打ち落すのに、まだ法律が整備されていないから、ちょっと国会の多数決を取らなければ」と言っているようなもんだ。今回の事件で、つくづくこの国に政治と言うものは不在であることを実感させられた。それで、若者に愛国心がなくなったと嘆いている。こんな国に愛国心なんて育つはずがない。サッカーで全日本を応援しているのとは全然別次元の話しである。身を捨つる程の国、有りや無しや・・・・・・