今日、朝一で大阪なのだが、これから寝たら起きれない。じっとしていたら寝てしまう。よって、暇つぶしにこの文章を書いている―――18日(木)関川教授の第1回目のゼミがあった。僕は、実は去年も彼のゼミをとっていて、2年連続で履修(勿論コンテンツは違う)のは恐らく僕だけだと思う。先生もちょっとびっくりしていた。その授業中、先生が僕ら学生達に突然、「諸君は、戦後とはいつまでを定義するか?」という問いを出した。 僕ら学生は出席カードを兼ねて、その問いを答案用紙に書いてそれぞれ提出した。 一人の女学生の解答が発表された。 彼女は信じられない答えを書いていた。それは、「昭和初期までです・・・・」というものだった。 日本の場合「戦後」と言えば、常識的に、W・W・2(太平洋戦争)のことを指す。太平洋戦争が終結したのは、一応、昭和20年、8月15日。なのに、「昭和初期」という答えはどうだろう? 俄かに信じられなかった。 これも「ゆとり教育」の弊害か? ある学生は、「1993年まで!」と年号まで指定していた。 理由を聞くと「1993年に中学を卒業したのだ」と言う。全く、意味不明である。他には、「現在まで・・・・」 現在までが戦後なのか? 他に「レコードからCDに変わるまで・・・・」という学生など様々であった。 
 しかし、教授は、怒ることも呆れる事もせず、一つ一つに丁寧に解説を加えていた。 学校の先生というのはとかく根気のいる職業なのだ。中に一人「1972年の沖縄返還まで・・・・」と答えた学生がいて、「う~ん」と僕を唸らせた。この答えは深みがある。勿論、上に挙げた例は特例で、殆どの学生はほぼ正解していると思う。いや、そう思いたい。
 因みに僕の答えは「政治的には、55年体制ができるまで。 経済的には、池田内閣の所得倍増計画、高度経済成長が始まる55年~56年まで。文化・風俗・インフラ的には、64年の東京オリンピックまで。文学的には、三島がデビューするまでがいわゆる「戦後」だと考える」というもの。つまり、戦後の復興が一段落し、世界参加が行われるまで、ということである。 
 授業中、教授に「ひがしこくばるさんは、東京オリンピックの時、何歳でした?」と聞かれ、「7歳でした」と答えた。「その時のことを覚えていますか?」「はい、かなり鮮明に覚えています」と答えながら、あの頃のことを、解れた糸を解くように、丁寧に思い出していた。 僕の家に初めてカラーテレビがやって来て、近所の人達が集まってオリンピックを見ていた。テレビの中でアベベが走っていた。誰かが、アベベが黒人であることを揶揄して「カラーなのにこれじゃ白黒とおんなじじゃが!」と質の悪い冗談を言った。 周りがカラカラと笑った。父が焼酎を飲みながら、知ったかぶりをして、ボブ・ヘイズの情報をアナウンスしていた。新幹線が走り、東名高速が開通した。宇宙とか未来という言葉ががぜん現実味をおび、あの頃、21世紀には、アトムや鉄人28号の中で描かれた世界が展開されると信じて疑わなかった。 しかし、21世紀、まだアトムは空を飛んでいないし、正太郎少年はいない。それどころか、21世紀、オリンピックを知らない人間で街は溢れかえっている。 教室でも、もうまるで生き証人のような感じである。でも、僕は、あの東京オリンピックや、輝かしかった万国博覧会、国全体の貧困、復興、夢、革命(赤軍派)などの激動の歴史を見つめてこれて幸せかも知れないと思った。そして、これは不謹慎な言い方かも知れないが、先の戦争を体験していない不明と不運をちょっぴり残念に思った。
  戦後の花形職業の歴史を遡及してみると、最初が繊維業界、続いて鉄鋼業界、そして商社、流通、サービス産業などと経緯している。それは、大体10~20年周期で変遷している。授業の中でも指摘されたが、ということは、学生がこれから職業を選ぶポイントは、少なくとも今流行っていない職業に注目する。つまりそれらが真の将来性がある職業ということかも知れない。