1998年のあの絶望から5年が経つ。あれから、5年。あっと言う間といえばそうか、そうでないといえばそうかも・・・・・・・・・・複雑だ! その間、僕は、一体、何を得、何を失ったのか? きっと、多くのものを得、多くのものを失った。 その事は間違いない。 多くの人々が、普通にそうであるように。 呼吸をしていれば、そうであるように。 得るものは、いつも、そっと、遠くからやって来て、いつのまにか自分の中にある。 失うものは、いつのまにか、そっと、霧のように、消失している。 そういうもんだ。生きるという行為は・・・・・・・・・・
 それは、一体何なのか? 金か、信頼か、技術か、ゴルフか、思考か、記憶か、創造力か、髪の毛か、時代か、家族か、羽か・・・・・・・学問か、走りか、新たな友か、新たな価値観か、新たな夢か、新たな絶望か、新たな羽か、・・・・・・・・・・
 先日、東スポの取材を受けた。1997年に入社した記者(早稲田出身)が、僕にさらりと言った。彼は、僕の目を見ずに言った。「あんな事件、誰でもやっていることじゃないですかね~あの時、何で、東さんだけ? って思いましたよ~」 同情とは思えなかった。でも、彼は、真剣そうにそう言った。それだけ、言った。それしか、言わなかった。
 でも、彼は、そう言いながら、屈託の無い笑みを浮かべた。僕には、他意の無い屈託さと思えた。 それは、少年が、無心に、虹を追うように・・・・・・・それは、山奥の誰も知らない湖のように・・・・・・それは、誰も見た事のない神が、人々を、「きっと、大丈夫だよ」と優しくさとすように・・・・・・・・・でも、僕は、1998年10月14日の東スポの記事を忘れない。一生! 一面に出た得体の知れない誹謗・中傷の記事を・・・・・・・・・それを誇張・捏造し、見出しにした電車の中吊り記事とそれを見た子供の表情を・・・・・・・・・・そして、電話口で聞いた年老いた母の嗚咽を・・・・・・・・・・・・別に今更恨んでなどいない。全ては、自業自得なのだから。 ただ、忘れないという事実が、そこにすっとあるだけだ。ただ、すっと、音も無く・・・・・・・・・・あれから5年。でも、それが、5年という月日なのだろう。管直人氏が「瓦解」を忘れる長さ・・・・・・・そう、もう忘れてもいいのかも知れない。人は、忘れる動物だ。 忘れなければならない動物でもある。 新しい歴史が行列をつくって待っているから・・・・・・・・・
 でも、僕は、忘れないでいようかなと思っている。東スポの記事をではない。謹慎という事実をである。内省すべき事実をである。 何となく。確固たる理由は思い当たらない。ただ、そう思う。忘れないでいようと・・・・・・・・・・それが、僕の十字架なのだと・・・・・・・・・そして、今、また、6回目の謹慎記念日に向かう日々が始まる!