Xとはほんとに・・・
 東・うんうん、あったんだよ。って冗談だけど・・・・・・・・もし、「大竹まことはXと関係があったと東が証言した」、と。これが大竹まことの耳に入ったら、この雑誌もメジャーだね(笑)。ワイドショーとかで「そのまんま東、『マイルストーン』で語る!」って。なんで学内情報誌で大竹まことの私生活が暴露されてるんだ!って(笑)。でも、この雑誌、3万部とか売れてるんだって?
 その大竹さんに社会人入試の推薦書を書いてもらったんですよね。
 東・そうですよ。 大竹まことさんにだよ? 推薦文はね、普通、上司や社会的に自分が尊敬してる人物に書いてもらうの。 師匠(ビートたけし氏)に頼もうとしたんだけど、丁度その時、映画の仕事で、二ヶ月くらいロス行ってたのよ。それで、近くにいたのが、あのヒゲのオジサン(笑)。本人は、「俺はけっこう文章がうまいよ」なんて言ってたの。それが何だよ、推薦書がね、散文なんですよ。
 「芸人は、時代と共に添い寝をする存在だ。」・・・な、何だよ、それ? って(笑)。推薦文でも何でもないじゃん!「芸人は、時代と共に添い寝をする存在だ。時代が去ると共に芸人も去っていく。よって東を推薦する。」・・・「何が、よって・・・・」なんだよ! それから「おまけに僕も推薦する」・・・って、なんでお前を推薦してんのか?って。
 しかも、推薦文って自筆じゃなきゃいけないのね。でも彼の字がこれまた下手なの。ひらがなばっかりでね、時々カタカナが入るのよ。大日本帝国憲法か!?って。推薦文どころかさ、年賀状も書いたことない人だから・・・。でも、そうだねえ、ある意味ね、合格は大竹さんのおかげってのもあるんじゃないかな。いろいろ励ましてもらったし、まあ僕が彼の尻尾を握ってるって点で、立場的にはフィフティーフィフティーくらいだろうけどね(笑)。
 いろいろあるんですか?東さんも。
 東・僕は~・・・最近ないから、尻尾は。もう尻尾出し放題、出しちゃったから(笑)。
 多数の番組を抱えるお笑い芸人として下ネタを飛ばした次の日には、政治学の難解な試験が待っている。そんなハードな毎日を送る東さん。なぜ学生生活に、そして早稲田にこだわるのか。
 東・社会人入試では、推薦書の他に志望書も必要なんです。それと、プロフィール。それが第一審査なんですよ。それから、学科試験。最後が面接試験と続く。
 志望理由は・・・ええと、「学問の希求・知的欲求」ですよ。はっきり言って、詭弁です! ハイ!(笑) 。だって、建前として、一応、そう書かないとさあ。 本音ではね・・・感動したかったんですよ。この歳になるとね、感動が薄れていくのよ。マラソンもそうだけど、何度も完走していると段々感動が薄れて行くんだ。 生活の中で、分母にある過去の経験が多くなっていくと、分子にある今する経験が、過去の経験のどれかと重なっちゃうのよ。で、過去に経験をしたことがないようなこと、あるいは忘れ去ってしまったようなことを経験したい、と。それが第一の理由だった。特に早稲田大学が好きなんですよ。僕は大学に対して、後悔してたから。 で、入りなおした、っていうか。
 なぜかというとね、実は現役の時、早稲田に受かってたんです。でも行けなかった。受験のため100万円もって上京してきたんだけど、東京が珍しかったもんだから遊んでお金を使いすぎて、早稲田の分の入学金が払えなくなってしまって。例えばボクシングの輪島さんの試合を見に行ったり、その頃流行ってたアイビールックの高い服や靴を買ったり。それから、「ペニーレインでバーボン」って、吉田拓郎さんの歌があって、自分もペニーレインでバーボンを飲みたいと(笑)。そうやって遊んでしまったのよ。で、一気に30~40万くらい使ってしまって。その頃は私立大学に入学するとすぐ入学金を納めなきゃいけないんだけど、入学金が一校分しかないの。で、早稲田の発表が最後なんだけど、自信がなかったから、先に合格した専修大学ってとこに、お金を払ってしまったんですよ。 それで、後で、早稲田に合格していることが分かった。でも、その時は、大学なんてどこでも良かった。東京が僕の大学で、東京に出て、広く見聞することが第一義だった。
 でも、心のどっかで、ずっと後悔してたんですね。 早稲田に行きたいな~って、意識の奥の方で、ず~っと、思ってたんですよ。 芸能界に入っても。 30年近くも・・・。
 でも、志望書には書けないよね! 18歳の時東京に出てきて、遊んで入学金を使ってしまったから早稲田には行けませんでした、って(笑)。
 そういうことがあったから、当時18歳のとき失った思い出が、ここではできるんじゃないかな、と思って。そしたら・・・。早稲田に入ってから、ある学生が文学部の体育館の前で歌ってたの。「ペニー・レインでバーボン」を。しかも吉田拓郎さんに似てるのよ。歌い方とか。で、俺はね、もう「ワープしたな」と思ったもん。時間がね~。おれが、来たかったのは、いや、来るべきとこはここだったんだな、とね。
 マイル・それ、いい話ですね~!
 東・でしょう? 言っとくけど、創ってないよ(笑)! 感動したもん。でも目の前で聴くの恥ずかしいから、少し距離を置いて、ず~っと佇んでた。夏の昼下がりだったですけどね。そうやって、その失われたタームを今、早稲田大学で手探りして、触感してるんだよね。 僕もあなた達と同じように、二十歳の頃には、自分には有り余る未来があると思ってた。だから、今思うと無駄に過ごしてたの。 そりゃ、そのときは必死だよ。上京してきて、大学はそっちのけで、東京で何をしていくか、どうやって生きる場所を見つけていくかってのがその頃の課題だったんだよね。・・・で、必死で探した末、入ったところが師匠のところっていう。・・・う~ん、間違ったかなあ(笑)。まあ、もとからそういう宿命だったんだろうね。
 では、再び大学生になって今の学生を見て、以前とは違うと感じることがありますか?
 東・そんなに無いですね~  ただ、終身雇用とか、年功序列なんかがなくなっている影響があるとは思う。 それらがあった頃と、一長一短あるけど。 例えば、最近の若者って人前で話すのをビビらないのよ。 例えば「お笑いバトル」の楽屋でも、緊張はしてるんだけど、「楽しんでやろうぜ!」ってハイタッチやってる。プレッシャーはあるんだろうけど逆にそれと友達になろう、みたいな。
 それから、いい意味で先輩を先輩と思わない。先輩の前で萎縮しないっていうか、イベントなんかでも、対等にやろう、って雰囲気。 それを許せない先輩とか、保守的な人たちが、今一番居場所を失ってるんじゃないかな(笑)。 そういった意味では、そういう若者の中で貴重な経験させてもらってますよ。期待はずれとかはなく、若い子のエネルギーとかバイタリティーとか、ダイナミズミなどは感じてますよね。 「最近の若い奴らは・・・」なんて、ちょっと長く生きた人々やマスコミは言うけど、まだまだ優秀で、根性ある学生一杯いますよ。そう、僕は思ってる。
 最後に、新入生と在学生へのメッセージを求めると、「気軽に声をかけてください!」と即答した東さん。その姿には、お笑い芸人としての、また学生としての自信があった。友達ができない人や大学がつまらないと思う人は、東さんを見つけたら「友達になってください」と声をかけてみよう。そこから、あなたの新しい学生生活が始まる・・・かもしれない。
 注・早稲田をもっと知るために
 1・レッドピーマン、チョコとん(フクちゃん)早大生にはおなじみの大学周辺にある飲食店。本誌○ページの「わせめし」を参照。
 2・珍味昔はラーメン屋だったのにナスか唐揚げを注文しないとオヤジの機嫌が悪くなっていた。移転後はメニューからラーメンが消え、オヤジも丸くなったらしい。
 3・百キロハイク埼玉県本庄市から早稲田の大隈講堂までの約100キロを二日間かけて歩ききるという壮大なイベント。毎年5月に早稲田精神昴揚会の主催で行われる。略して百ハイ。仮装するのが通の楽しみ方である。
 4・「お笑いバトル」東さんによると、「非常にレベルが高かった。チャンピョンの2人は後で審査員にスカウトされたらしい。
 5・阻む超ジャマ。でも体育部のマッチョたちには勝てない。
 6・校歌新歓で、大隈講堂前で、馬場のロータリーで。気持ちよく酔ったらとりあえず歌っとけ。
 7・応援歌「紺碧の空」など。百ハイや早慶戦までには覚えるべし!
 8・8年生デッドライン。これを過ぎると大学から追放される。
 9・ゼッケンネーム大賞ちなみに東さんのゼッケンネームは「そのまんま」
 10・奥島総長前総長。その異常なまでのハッスルっぷりには賛否両論あった。
 11・早稲田祭6年ぶりに開催された早稲田大学の学園祭。詳しくは本誌2ページ目の「大学歳時記」を参照。
 12・極楽とんぼお笑い二人組。早稲田祭と同時期に行われた他大の学園祭で包茎手術ネタの収集がつかず全裸になり、書類送検された。
 13・「好きな女の子がいるんだけれども、自分じゃ言えないから東さん言ってくれませんか」あなたもこれを読んだからって東さんに頼まないように。
 14・溜まり場大学に近い部屋に住む者の宿命。お互いにウザくならないように楽しむのがコツ。
 15・歌ってた文学部キャンパスのスロープでは弾き語りの他にコントやフリマをする人もいる。
 16・アイビー・ルック昭和40年代に流行した“アメリカン・カジュアル”なファッション。代表的なのが「VAN」というブランド。
 17・「ペニー・レインでバーボン」原宿にあった飲み屋ペニー・レインのことを歌った吉田拓郎の名曲。歌詞に差別的表現が含まれているとされ、現在は廃盤に。