高校時代のハンドボール部の同級生と後輩が同じ中学校の教頭と校長になったらしい。同級生の方が教頭で後輩が校長なのである。まぁ、人生いろいろである。しかし彼らは真っ当な人生を実に地道に粛々と歩いている。「宮崎の教育現場をくれぐれも頼むぞ」と言った感じである。
昔の仲間達がどうやら各職場で要職に就く世代であるらしい。そんな歳なのである。そんな歳の僕が大学で20歳前後の学生諸君らと肩を並べて履修届けなんてしている場合だろうか?(笑)ぜぇぜぇ言いながら、学生諸君らと一緒になってインターバル練習なんてしている場合だろうか?(笑) している場合なのである(笑)。全ては数年後のために・・・・・・・・
7日(木)大学の第一次科目登録の発表があった。政治英語文献研究(応用)の希望クラスの抽選にもれていたので二次登録のために学校に行った。昨日、走りは完全restである。その後、洋七師匠のライブ(18時入り)まで時間があったので、お馴染み馬場の「松の湯」に行った。人は疎ら。年寄りが2~3人だった。風呂に入る前にトイレに入ってウンチをした。人があまりいなかったので大丈夫かな?と思い、鍵はかけなかった。和式のトイレで「う~ん」と踏ん張っている最中、突然ドアが開いた。僕は踏ん張りながらびっくりして後ろを見ると、僕より数倍びっくりした顔の学生風の男がそこに立っていた。暫く言いようの無い沈黙があった。その後彼がぼそりと僕に言った。「そのまんま東さんですよね?」僕は、踏ん張りながら首を縦に振った。すると彼は「こんなところでお会いできるとは・・・・・・光栄です・・・」と頭を下げた。まさに人生いろいろである。久々に顔から火が出るくらい恥ずかしかったが、出るものを途中で止めることは出来なかった。
洋七師匠のライブにゲスト出演するために新宿のシアターアップルに行く途中、いつも行くレコード屋さん(CD屋さん?)に立ち寄った。ケツメイシの「桜」を買ったら、ジャケットに何故か金造さんが頭に桜を乗っけて写っていた。思わず爆笑してしまった。しかし何であんなところに金造さんがいるんだろう? 人生いろいろである。
洋七師匠のライブには若手さん達(ペナルティ・インパルス・ロバート・森三中・テツトモ・・・)も数多く出演していた。中川家とますだおかだ君たちの漫才を舞台の袖から見た。漫才を斜め後ろから見るのは久々だった。20数年前ツービートの付き人だった頃のことを思い出した。あれから25年。本当にいろいろなことがあった。まさに人生いろいろ。
汗だくになってしゃべくり、客席を沸かせている漫才を斜め後ろから見て、その格好良さに久々に感動した。「芸人て素敵だな~」とつくづく思った。
中山大三郎先生がお亡くなりになった。先生は宮崎(高崎町)の出身で、高校の先輩でもある。これまでに何回かゴルフでご一緒させてもらったことがある。クラブハウスで朝から持参の霧島焼酎を飲んでおられたのが印象的であった。僕にいつも「君の力で宮崎を明るくしてくれ」と口癖のように言っておられた。64歳、若すぎる死である。「人生いろいろ」は現首相が国会の答弁で発した名フレーズでもある。まだまだ長生きして頂いて、これからの宮崎を見ていて欲しかった。宮崎が生んだ巨星がまた一つ消えた感じで本当に残念である。心からご冥福をお祈りしたい。
11日(月)からは授業開始である。いよいよ学校モードである。しかし、11日いきなり大阪の仕事で欠席しなければならない。トホホホ。月曜日は語学もあるので、非常に痛い。本当に人生いろいろである。