17日(土)都城に午前10時過ぎに着いた。結婚式まで1時間以上時間があったので、市内を走った。今年12月の市長選に出馬を決めている長峰君(高校の後輩、大学の先輩)の事務所に行ってみようかな?(別に彼を支持している訳ではない)と思い中山荘から走り始める。上長飯(かんながれ)まで行ったが彼の事務所は分からず、そのまま母の実家の辺りを走った。途中、母の一番上の兄(山之内重治氏、僕にとっては伯父にあたる)の家に行ってみた。日本庭園が実に見事な邸宅である。縁側に一人の老人が庭を見つめながら日向ぼっこをしていた。重治氏だった。約30年振りの再会だった。
 実は、僕が出席する結婚式は、この重治氏の孫娘の結婚式なのである。彼は、健康上の理由もあり、「留守番」ということでどうやら式には出席しないらしい。今年84歳になる伯父は僕を見て直ぐ僕だと認識できたらしい。少し興奮した様子で、挨拶もそこそこに懐かしい思い出話を一気に捲くし立てた。懐かしい思い出のシーンを体現し、脳を刺激することが、最もボケの予防になるらしい。彼は、時々視線を遠くにやり、まだ上長飯が上長飯だった頃のことを思い出している様子だった。
 その孫娘(僕にとっては従兄弟の娘さん)の結婚式の途中、市役所勤務の高校の大先輩(宮元さん)が式に来た。彼は、別なホテルで後輩の市役所員同士の結婚式に参列しているという。「ちょっとこっちの結婚式に来て、スピーチしてくれないか?」と依頼されたので、式を抜け出し、市役所チームの結婚式に顔を出す。
 式の中、僕のスピーチが言葉足らず(すっかり酔っぱらっていた)で、出席者に対してどうやら誤解を生んだのではないか?という指摘があった。その指摘をしてくれたのは、式の様子をビデオ撮影していた後輩の新里であった。そこで、この場を借りて(わざわざそんなことしなくてもいいのかも知れないが(笑)・・・・・・)、若干の加筆・説明を加え、僕の立場を明らかにしておきたい。
 先にも述べたが、僕は別に長峰誠氏(漢字正しいかどうか分からない)を支持している訳でな無い。彼の政治政策や思想、ビジョン等を知らないので支持もくそも無い。また、12月の市長選に出馬する現市長の岩橋氏を支持していない訳でも無い。岩橋氏は今回で6期目。長期政権である。確かに多選は政治の腐敗や硬直化を招き易いデメリットがあるが、長期的な施策計画により複眼的な視野に立った行政(町づくり)ができる等のメリットもある。一概に多選が悪であるとは言えない。高年齢(岩橋氏は現在77歳)ということについても、社会年齢はあくまで国家がその支配のために便宜上定めた公的年齢であり、実年齢はあくまでその人間の肉体的・精神的能力で決定されなければならないというのが僕の持論である。一概に高年齢だから即政治には適正でないとは断言できない。
 僕が言いたいのは、ますます複雑化・混迷化・難解化する21世紀の社会において、市民(国民)がいかに幸福を追求でき、生命や財産の安全とオポチュニティの確保ができるか? 何よりそれらの実現がファーストプライオリティである。その為に、21世紀の自治体を担う行政のスタッフは、どのような人間が適切なのか? それを決めるのはあくまでも住民であるということだ。住民主権を堅持するリーダーやスタッフを選ぶことが我々の義務であり使命であるということで、民度を高めるのは我々自身にほかならないということだ。
 17日は二つの式が終わって、実家に立ち寄った。偶然、父(利夫)の一番下の弟、僕にとっては叔父にあたる広夫さんが家族で来ていた。彼とも久々だった。98年春、宮崎の県営グランドにイベントの営業に行った時に会った以来だった。今年50歳になろうとうする彼の髪も随分薄くなっていた。これまた懐かしい話に花が咲いた。
 その後、昼間に行った重治さん家で結婚式の二次会をやっているので、是非来て欲しいというので、姉の運転で行った。重治さんは大層喜んでくれ、普段は飲まないという焼酎を呷っていた。その横顔は本当に嬉しそうだった。彼の、いや彼らの、彼女らの幸福そうな横顔を維持することが自治体の使命であろう。
 その後、高校時代のハンドボール部の総会があるというので顔を出した。とにかく田舎に帰ると忙しい。先輩の方々が校長になったり、後輩が教頭になったりという報告がなされる。ハンドボール部のOBはやたら教職員が多い。最後は、中藤と新里の3人になったが、僕は先に投宿先の中山荘に帰って寝た。爆睡だった。
 翌日の朝、友人の稲森が迎えに来てくれた。彼は、「まる新」(僕が最も気に入っているラーメン屋さん)の味が落ちたと、しきりに嘆いていた。確かめるべく、18日(日)午前10時にまる新に行ったが、11時から営業だという。11時30分の飛行機に乗らなければならなかった僕は、泣く泣く諦めた。
 そんなこんなで慌しい帰省だったが、多くの懐かしい方々に再会できてとても有意義な帰省だったと思う。