7日(木)学校で授業を受けた後、15時から高田馬場ルノアールで来年に上梓する本の打ち合わせ。それが終わって、オフィス北野の伊従部長が、現場までわざわざ今回の安原の不祥事に関する説明と謝罪に来た。彼は直属の上司として自らの監督不行届きについて頻りに陳謝していた。しかし、やはり私生活まで管理するのは限界があるのは十分理解出来る。しかも30歳を過ぎた歴とした大人である。少なくとも仕事上の付き合いで見る限り、倫理観・常識・一般的な最低限の社会的通年は持ち合わせていたように思う。
伊従の話によると、安原は彼ら社員達とも私生活で余り交流することは無かったらしい。そういう意味では、僕に対してと同じように仕事のONとOFFをしっかり分けていたみたいである。それにしても彼の胸の奥の闇の部分を見抜き、このような不測の事態を未然に防げなかったことが返す返すも残念である。
伊従部長初め社の幹部は、10%~30%の減俸処分らしいが、一体僕はどれくらいの減俸なのだろう? もう既に仕事のキャンセルも出ている。それ以上に、スタッフ、家族、社会の人々、大学関係者(学生も含む)、地元・宮崎等々に対して、少なからず迷惑をかけ信頼を失墜した値は果たして数値化できるのだろうか? できるとしたら如何ばかりなのだろうか? これから信頼回復にまた膨大な時間とエネルギーがかかる。それらも数値化したら如何ばかりなのだろうか? 
6日(水)授業が終わって教室から出ると、また見知らぬ男が立っていた。今度は若い男性だった。「あのう、すみません」男は恐る恐る僕に声を掛けて来た。「今度はどこの週刊誌だ?」心の中でそう怒鳴った。すると「あの~僕、早稲田祭の実行委員なんですが、早稲田祭のメインイヴェントで流すビデオレターを東さんにお頼み出来ないかな? と思いまして・・・・・」彼は、申し訳無さそうにペコリと頭を下げた。「え?」一瞬驚いた。「え? 僕が? 僕でいいの?」「はい、是非、東さんに・・・・」「え?どうして?」「はい、早稲田の学生に、誇れるOBは誰ですか? というアンケートをしましたところ、東さんが上位に入っていましたものですから・・・・・・・」一瞬耳を疑った。この学生は僕が今どういう立場(イメージ)にいるのか分かっているのだろうか? 「本当に僕なんかでいいの?」僕は再度確認を求めた。「はい! 是非お願いします!」彼は力強く言った。彼の瞳は生き生きと輝いていた。その瞳にしょぼくれた僕が映っていた。僕は、心の中でぼそりと「喜んで・・・・」とだけ言った。
今週は酒を一滴も飲まずに、毎日夕方から夜にかけて只管走っている。そういえば、先日、仕事で熊谷真美さんに会ったとき、こう言われた。「土曜日の感謝祭見たわよ。貴方、本気出してなかったでしょう?」一瞬ドキリとした。あの走りは決してわざとでは無かった。ただ、勝ちたくないな~、あんまり目立ちたくないな~、という気持ちは正直どこかにあったのは事実である。
6日(水)も、駒沢を走った。またどこかの大学がタイムトライアルをやっていた。恐らく今月16日の箱根予選会のためだろう。彼ら選手達の実直で直向な走りは本当に感動と勇気と力をくれる。何も言葉は要らない。また、僕も頑張ろうと思わせてくれる。彼らの後に必死に付いて行きながら、心の中で「ありがとう」と叫んでみた。誰かがちらりと振り返った。
事務所の伊従部長と村沢部長とは早稲田で別れ、僕は電車に乗った。別れ際、村沢からある手紙を渡された。安原のお父さんからの手紙であった。
文字が震えていた。精一杯の字のような気がした。安原のお父さんは身体に障害をお持ちだと聞く。手紙には、その震える文字で、何度も何度も「申し訳ありませんでした」と綴られていた。何度も、何度も・・・・・・・丁寧に、そして誠実に。 僕は、山手線の中でそれを読んだ。3回読んだ。そして、周りに人がいたにも関わらず、いたたまれず、込み上げるものを押さえることが出来なかった。涙を周りの人に覚られないために、外を見た。いつもの見慣れた看板に、一瞬安原の顔が現れたような気がした。