21日(土)CX「クイズヘキサゴン」収録(6月22日(水)20時~OA)。しかし、自分の記憶の低下にはほとほとげんなりした。簡単な常識問題を度忘れしているのだ。ここ数年、専門性のある難解なことばかりに接していて、ごく一般的な常識・知識に欠落している部分がある。よく、大学の教授に、専門性には卓越しているが、常識には疎いという現象が見られる。あれに近づいているのかも知れない。いかん、いかん。
常識ペーパーテストで、日本三庭園は? 偕楽園、後楽園、後の一つが出て来ない。もう情けない。 ビートルズのドラムスは? ジョージハリソンかリンゴスターかで迷ってしまう。オペラ「ラ・ボエム」の作曲家が出て来ない。もう末期的。アイドルや最近のミュージシャンの名前などに至ってはチンプンカンプン。いかん、いかん。性根を入れ直さなければ。
政治経済・歴史・時事・言語問題などは殆ど完璧なのだが、まぁ、そんなことは当たり前か。結局、ペーパーテストは全体(18人中)で4位。あんな問題で4位である。トホホホ。湯浅卓国際弁護士や西川史子女医に負けてるようじゃ、あかん! 一からやり直しだ。情けない!
収録が終わって予定通り、グローバル八重洲に行く。今日の担当トレーナーは、8月の世界陸上の代表である富士重工業の奥谷選手の担当をしているトレーナーだった。痛いリンパマッサージを受けながら、マラソンに関するマニアックな話で盛り上がった。
’87年12月の福岡国際。当日は霙降る寒い天候だった。ソウル一発選考レースだったにも拘らず、体調を壊して欠場した瀬古さんに、中山竹通選手が「這ってでも出て来るべきだ」と言い放ったあの大会である。その時、3位だった工藤選手と瀬古さんとのソウル出場権で陸連が大揉めに揉めた。結局、瀬古選手がソウルに出ることになり、惨敗。そんな話を1時間30分に渡りしていた。
因みに、’87年12月は、かの名作?「ビートたけし殺人事件」を執筆中で、最終校正の段階に入っていた時期だった。また、’87年は今問題化されている国鉄が民営化された年でもあった。
トレーナーは、先月から僕が連載を始めた「クリール」というランニング雑誌を読んでいて「うち(グローバル)のことが、東さんのエッセイの日課表に出ていたので、嬉しかったです」とコメントしていた。「サブ・スリーはいつ頃狙うんですか?」と聞かれ、「まだはっきりしてないんです」と答えた。実際、はっきりまだ見えていない。恐らく、11月~12月くらいに一回チャレンジするつもりなのだが・・・・・・・・今の所、10月の最終日曜日は宮崎・綾(ハーフ)、11月第三週目には、鹿児島・薩摩川内マラソン、翌1月第一週目は、鹿児島菜の花マラソン、2月には南九州駅伝等を走る予定なので、まだどうなるかは全く分からない。
マッサージが終わって、MINATO屋に行くも、閉まっていた。24日(火)大阪帰りでまた行ってみよう。24日はいつもの「2時ワク」に加えてたかじんさんの番組があるので遅い。東京駅には21時くらいに着いて、そこから走って、MINATO屋には21時30分くらいの到着になると思う。5月31日(火)は大阪から宮崎直で行くし、6月7日(火)は大阪泊まりなので、行けない。24日は重要である。