ごぶごぶ、御無沙汰。やぁやぁ、こなさん、みんにちわ! お久し振し、振しで~す。実はちょっと放浪の旅に出かけておりまして・・・・・・・・11日(土)の午後、近所のブレーメン(老夫婦が経営している古い喫茶店)でオムライスを食べていたら、となりにいた中年の質素な女性が、月刊『ダム』という本を熱心に読んでいた。月刊 『ダム』? なんじゃそりゃ? 表紙には、どこかの大きなアーチ式ダムの写真が載っている。 ダムについて彼女は一体何を知りたいのか、ダムの何に興味があるのか? ダムで何をしようと言うのか? ダムの関係者なのか?  わ、分からない。 ダムで連想するのは、投身自殺、水力発電、ガムに似ている・・・・・・・くらい。  謎は深まるばかり・・・・・・・そしたら、急に、ダムを見たくなって、黒部ダムを見に、長野へ車を走らせた。 中央高速、豊科インターを下りて、大町市から、立山方面に登って行く。 途中、アップダウンのキツイコースを7キロくらいジョッグして、白馬温泉郷で、500円の露天風呂に入った。 その後、一行は一路立山連山を目指す。 気温23℃、登るにつれて、霧雨、豪雨となり、死闘の様を呈して来る。 やがて、雨は止み、カッコウとコオロギ君の鳴き声が・・・・・・立川黒部アルプスの景観を称え、その勇壮に感動する。 加えて、黒部と人間の壮絶な闘いの歴史に胸を打たれ、黒部第4ダムの壮大かつ荘厳な景観に魅せられ、つい、ケーブルカーにまで乗って、黒部平まで登った。 その昔、時は戦国の世、富山の佐々成政が108人の兵を連れて、8日間かけて、冬の立川黒部連峰を超えた。徳川に豊臣討伐の挙兵を要求するため・・・・・想像するに、どんなに過酷だったことか・・・・・・しかし、徳川は動かなかった。佐々隊は、意気消沈し、何人もの犠牲を強いられながら、また同じ道を引き返した。今では、考えられない。現在、立山黒部アルペンルートだと、約1日で越えられるらしい。 黒部ダム名物、ダムダム君を買い、山を下りる。 一行は一路、松本へと向かい、松本城を仰ぎながら、ソフトクリームを頬張り、舌鼓を打つ。早川が、国宝の天守閣に、無断で登ろうとして、係員に叱られる。吉川は、誰も写真を撮ってくれないので、自分で、自分のヨッチスマイルを、城をバックに撮っている。 印象・・・・・松本城は思ったより、小さかった。  その後、中央高速を東京方面に上ると、大月から東京まで50キロ以上の渋滞。我々は、甲府で高速を下り、一路、富士山へと向かう。 時は、夜の8時。上九一色村を過ぎた辺りから、それまで降っていた雨脚が激しくなる。少々の雨なら、登山しようと思っていたが、こんなに降ってちゃ、ちょっとしんどいだろう。防寒具並びに雨具も十分ではない。 富士の豪雨の山道は、急坂で蛇行していてとても危険。 車で走る精進湖ラインの視界はワイパーの先僅か数メートル。 このまま強行すれば、きっと、死者が出るに違いない。 気温、10℃。 最早、半袖では、凍るような寒さである。 我が隊、隊長のヨッチは、隣りでアホヅラこいて高鼾。ハンドルを握る早川は、何か訳の分からない呪文を唱えている。 「エコエコアザラク・・・・カマクラキャバクラ・・・・・・」。隊員の疲労、極値につき、止む無く登山断念を決定。下山途中の精進湖で無念の放尿。 そのまま、静岡県側に歩を進め、富士宮から、沼津、熱海へ抜ける。熱海で一休み。 湯治し、料理屋で、海産物に舌鼓。丁度、店のテレビジョンで、世界陸上の女子マラソンをやっていた。誰が1等賞か予想合戦は、最初から、シモンちゃんが優勝と予想した、僕の圧勝。 それにしても、シモンちゃんは凄い。前から言っているが、彼女が断然世界ランク一位に間違いない。ロルーペでも高橋さんでもない。 去年のシドニーで、高橋さんに8秒差で、おしくも2位。 にも関わらず、今年の春にはもうロンドンを走っていた。 まさに、鉄人。 驚異だ。 これこそ、世界ランク一位。 そして、今回。 高橋さん、どうしちゃったの? って、感じ。 走ってないの? って感じ。 シドニーのライバルは、あれから、もう世界を2・3レース、走っているよ、って感じですね。また、秋に TBS感謝祭で、シモンちゃんに会えるかな? 楽しみだな。  てなわけで、久々、東京帰って来たら、なにやら、HPが怪しい雲行。 BBSのカキコ、2083~2086まで、削除されている。 一体、な、何が、起こったのだろう? 謎だ!