26日(金)大阪、関テレ「2時ドキ!」終わって、東京駅着後、熱の調子が良さそうだったので、赤坂御所を14km走る。我ながら不死身だ~走っていたら完全に熱が引いたみたいだった。信じられない。そんなことがあるのだろうか? 
 その後、某人物から予ねてから聞いていた白金にあるお好み焼き屋さんに行く。店の名前は「じんろく」。「とても美味しいから一度行ってみれば」とその人物に言われた。はっきり言って、その人物のお好み観を疑った。まぁ不味いという訳ではないが、取り上げて美味しいという程でも無かった。「大阪ぼてじゅう」を縮小したような味である。一緒に行った唯是君曰く「福島ゆりが捏ねて、東さんが焼いたお好みの方が100倍美味いです」だと。特に、ヤキソバは代々木公園の屋台かと思った。まだ屋台の方がいけるかも(笑) 大体、自分らで焼かせてくれないのが、僕にしてはもうそこで失格である。お好みは自分らで焼くもんである。焼くのに自信が無かったり、面倒くさいお客さんだけが焼いてもらえばいい。もっと信じられなかったのが、酒を飲まずに三人で15000円(お好み一枚1500円~2000円。スペシャルは3000円)だった。オーマイガッ! あれが「しろがねーぜ」というものの正体なのか? こんなことを書くとまたクレームが一杯きそうだが、別に「じんろく」を責めている訳ではない。それはそれで商売が成り立っているのなら結構である。あれを「とても美味い」と言ったその人物を責めているのだ(その人物の実名を挙げてもいいのだが、まぁ一応抑えておく)。いや、味を感ずるのは十人十色、映画に対する批評のように、それぞれの感性があっていいと思う。しかし、あれを美味しいと絶賛し、人に薦めるお好み観しか持てていないその人物は、本当のお好みを知らないということは断言できる。お好み焼き観はその人の人生観に繋がるとさえ僕は思っている。お好み観は、その人物の生活観、哲学観、そしてその人物がこれまでどのような思考を持ち、どのような人生を生きて来たかまでを表出する。その人物のその貧弱なお好み観に対して、その人物の世界観の矮小さ・瑣末さが理解・想像できたのだった。・・・・・・・・・・