久々! 東京! 25日(木)朝一の飛行機で出雲へ。島根行くのは、確か25年振りくらいかな~20歳くらいの時、前の学生時代、東京から九州に帰る夏、バックパッキングの旅で、確か行ったと思う。でも、もう明確には記憶に無い。
 初日は、松江城行ったり、堀川の遊覧船に乗ったり、古い町並みを散策したり・・・・・・ご存知、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻、小泉節子さんの実家があり、八雲がこよなく愛した古都、松江。昔ながらの風情があり、情緒豊かな街である。山陰は涼しいかなと思ったが、さにあらず。暑い、暑い、猛暑の中のロケ。堀川で、手を振って下さった方が、このBBSにカキコされていた。感謝!感謝! 初日は、松江から車で15分ほどの所にある玉造温泉の豪華な宿に宿泊。一泊、30万円なんてする貴賓室に泊まらせてもらったり、蟹の刺身や蟹鋤(すき)蟹しゃぶ、アワビ焼き、白魚などなど、まぁ豪華な食事。「わしゃ、殿様か?」なんて突っ込みながら、舌鼓を打つ。思わず「マイウやね~」なんて言ったら、同行した山本嬢が、「それって、ほんじゃまかの石塚さんの真似ですか?」なんて言われた。へ~? 言葉を逆さに言うのは、30年以上前から、バンド言葉として定着しているけど・・・・「らは~たーへー」「パイオツ、カイデェ」「ビーチク・チャイチィ」なんてね・・・・・今の若い人達は知らないんだろうな~~すっかり豪華な宿と豪華な食事に満悦していると、「東さん、これから地元の安来節を踊ってもらいます」なんて言われて、広いフロントロビーのステージで、観光客の前で、師範代の踊りに合わせて、即興で踊った。師範代に「あんた、中々筋がいいね~」なんて誉められて、後継者にならないか? なんて勧誘された。人生の後半を、安来節の踊り手として送るのもまたいいかな~なんて思ったりもした。br> 二日目(26日)午前中炎天下、宍道湖でシジミ取り。小さな船に乗って、竿のついた籠で湖底をさらうのだが、中々これが難しい。でも、聞くと、猟の時間は限定され、採れるのは資格のある漁師さんだけに限定されていて、結構なシノキになるのだそうだ。シジミ御殿が建ったりするらしい。午後は、ロケスケジュールに無かった出雲大社に特別に連れて行ってもらった。 神社仏閣ファンとしては、大感激! 全国の八百万の神々が、10月、出雲に一斉に集う。その月を、人々は神無月と呼ぶ! 地元の人達は、逆に神有月と呼ぶ。 いや~感動だったよ。その後、三瓶山という山の麓の国民宿舎に移動し、そこに宿泊。全国の国民宿舎の中で満足度がベスト10に入るというちょっと小洒落た宿舎。露天風呂には昔懐かしい五右衛門風呂があったり、部屋には囲炉裏、芳しい畳、風鈴の音、世俗を離れ、数々の虫や野鳥の鳴き声も聞こえてくる。まさに、終の棲家。 近くに、クロスカントリーの陸連公認コースがあったりして、早朝そこの芝生の上をジョッグしたら、死ぬほど気持ち良かった。夜は、そこの名物料理のホロホロ鳥をご相伴に預かり、地元の人達と語らい、またまた舌鼓を打つ。
 三日目、日焼けでおでこがてかてか火照る。昼、豚しゃぶを食べた店で、畳に大の字になって外の風景を眺めていたら、ふと昔懐かしい曲がどこからともなく流れて来た。確か、ビレッジシンガーズだか、ザ・サベージだかが歌っていた、「亜麻色の髪の乙女」。今、カバー曲として若い女性が歌っていた。でも、僕らの世代は、やっぱり原曲がいい。何となく、ぼーっと聞いていたけど、あれから、ずっと頭を離れない。今年の夏の僕のマイブームになりそうだ。三日目は、江戸時代まで可動していたという石見銀山。その麓の家城で、40年以上ブリキ細工をしているという職人さんの仕事振りを見る。まさに職人。ブリキのおもちゃ、水鉄砲、カンテラなどをいとも簡単に仕上げて行く。その見事な手さばき、メソッド。顔に刻まれた無数の皺。滴る汗。 彼は、きっとこれからもずっとずっと、そこに座り、観光客の前で、ブリキ細工を黙々と作り続けて行くのだろう。人里離れた終の棲家で・・・・・・・・・その後、縄文期の杉が、火山灰と土石流に埋もれ、そのまま現代に残ったという学術的に極めて珍しいとされる樹齢500年以上の大木が置いてある博物館などを見学・・・・・・・・その後、三瓶山に登ったり・・・・乗馬したり・・・・・・・・
 あっという間の三日間。実に有意義で想い出に残る旅だった。今回の山陰、島根の旅の僕なりのテーマは、「終の棲家」・・・・・・・・そう、人が、一生をかけて捜し求める所。それを捜して人は生きていると言っても過言では無い・・・・・・・・・それは、場所だったり、人だったりするが、それが、捜し求められた人は、この上なく幸せなのかも知れない。