いや~やっと1週間に渡る飲薬が終わった。この1週間じっと禁酒し、イスラム教徒のようにストィックで規則正しい生活を送った。そういう生活もなかなかいいもので、何だか癖になりそうである。 今月中旬からラマダンに入ろうかな? なんて思っている今日この頃・・・・・・・ここのところ、早朝ジョッグをする機会が多く。今朝も5時から走った。走って驚くのは、朝の公園は本当にお年寄りが多いと言う事だ。徹夜組みの若者と早朝年寄りとカラスとホームレスが融合する場所、それが早朝の駒沢公園である。僕はどの集団にカテゴライズされるのだろう? 若者かお年寄りか、それともカラスかホームレス? ・・・・・・・・と言うわけで先週1週間は、まるでイスラム教徒がコーランを読むように本を読み、タリバンの神学生のように学校に行った。水曜日の武田教授の記号論の講義は凄まじいものがあった。兎に角凄い。完璧だった。フランスでドクターを取得したという教授のレクチュアーは90分非の打ち所が無かった。「さすが」の一言だった。土曜日の関川先生の近代文学論は、志賀直哉の「清兵衛と瓢箪」の分析である。時代背景や志賀文学の深淵、中に隠されている哲学性など、さまざまな鋭い分析がなされるなか、一人のちょっと引き篭もり系の男子学生が突然手を上げ「この瓢箪は、本当はサイコロのことを言っているのではないか?」と異論を述べた。瞬間、教室の空気が変わった。どう考えても、瓢箪は瓢箪であるのだ。どう読んでもそれがサイコロだとは推測し難い。 この学生は、かつて教授に質問され「ジャンケンして先生が勝ったら答えましょう」と言って教室中の度肝を抜いた輩である。あんまり授業には出て来ない。 彼は続けて、志賀文学についての実にユニークというか、トンチンカンで意味不明な自説をとつとつと展開した。先生も他の学生も目が点、脳が点、口をあんぐり状態であった。永遠に続く彼の持論の展開と固まり続ける空気。その不調和が妙におかしく、思わず笑ってしまった。「志賀直哉は色事が好きで、今でいう風俗店に通いつめ、果ては性病にかかっています・・・・そして順天堂病院でそれを治療しています」確かにそうである。よく調べている。そして彼は「いいなぁ」とポツリと漏らした。 何がいいのだろう? 分からない。 20分くらい続いた発表の最後に彼はこう付け加えた。「皆さん、そんなに引かないで下さい。僕は決して狂ってるわけではありません」・・・・・・・・いろんな人間がいて、あの学校は実に面白い。週末は、東大の大学院(領域創成科学研究課)の資料を、法学で一緒の梅崎さんから頂き、各研究者の略歴や論文・研究内容を読んでいたら、脳が沸騰して来た。 それにしても世の中には、様々に凄い人間がいるものだとホトホト感心した1週間だった。