28日(土)午前中、2シーン撮った。現場が大阪府立体育館の近くだった。13時に終わり、そこから走って十三のホテルまで帰った。走り初めて5分くらいで小雨が降りだし、やがてどしゃ降りになった。よっぽどタクシーを拾うと思ったが、根性でそのまま走った。中央通りから、国道2号線で西福島を経由し、尼崎方面へ向かって、淀川を渡り、十三にほうほうのていで辿りついた。その距離13km。本当に久々にずぶ濡れになった。この年になって、1時間近くも、ずぶ濡れになるという経験は、こういうことでもない限りできない。でも、ずぶ濡れでホテルに入るのはちょっと気が引けた。
 その後、大阪発16時ののぞみで東京へ・・・・・・・やっと、東京に帰って来た。何故か、東京はホッとする。思わず、東京駅付近をまた走ってしまった。銀座から、築地、勝どき橋を渡って月島から門前仲間町・・・・・・・・・・・・佃島は、江戸時代、大阪は西淀川佃町の漁師を移住させたとこらしい。記念碑に書いてあった。西淀川は僕が大阪で泊まっている東淀川区十三のお隣で、よくジョッグしている所だ。
 結局、28日(土)に走った距離は20km。今月何としても300km走りたかった。その為には、25日からの6日間で90km走らなければならなかった。25日(水)18km。26日(木)雨中15km。27日(金)深夜16km。そして28日(土)20km。根性の走りである。ここまで69km。そして29日(日)久々、駒沢11km。目標を決めたら、それを忠実に誠実に実行する。これまでも、これからも、僕の姿勢は変わらない・・・・・・・
 28日(土)東京駅周辺を走ってから、八重洲のグローバルマッサージへ。股関節と膝の十字靭帯のマッサージ、死ぬほど痛かった。こんな痛い思いをして、マッサージやメンテナンスにお金かけて、一体、僕は何を獲得しようとしているのだろう? なんて、一瞬、思ってしまう。
 「理性の枷を無くすくらい、学問と走りに専念する」これが、7月第2週~9月の目標である。
 高杢君は、電話の向こうで、「後、2年くらいみないと何とも言えんですよ~」と笑った。「僕、東さんには、去年、身体の具合が悪いっちゅうことは言いましたよ~」だって。 失礼ながら、全然記憶に無い。その時は、それほど深刻では無いと認識していたからであろう? でも、高杢君の意外な明るさにちょっと安心。
 藤井フミヤ君との別れ(チェッカーズの解散)等のことは、高杢君から詳細を知らされていたが、そのことなどを記した著作が、今日30日に発売されると言う。 高杢君のあの頃の蹉跌と苦悩が克明に描かれているのだろうな~ 彼ら自身の数奇な運命と、この表現は適切では無いかもしれないが、端無くも、明と暗を分けた人生の成り立ちを、それれについて、彼の著はどういうふうに赤裸々に表現しているのだろう? 興味がある。 癌を告知されて、寧ろ気付いた大切なことがきっとあるに違いない実直で無粋な彼の人生と、ベストファーザー賞(実際そうであるかどうかは分からないが)とか何とかいう賞を受賞した一見輝かしき一方の彼の人生と、明と暗、陰と陽、(勿論そういうカテゴライズはできないことは承知しているが)どちらが明と暗で、幸と不幸であるかは、誰にも答えようのない問いである。
 勿論、これらは僕の稚拙なアナロジーに過ぎないかもしれない。しかし、このことだけは確実に言える。「幸せを感ずることと、幸せがそこに存在することとは全く違うこと」なのである。