25日(水)朝一の「のぞみ」で大阪へ。関テレの生OA「痛快エブリディ」に出演。その後、東京にとんぼ返り。東京駅着いてから、走る。皇居を2周した後、青山通りから代々木公園まで、約16km。最後は代々木のトラックが一般開放日だったので、トラックを走った。丁度一年前もよく代々木のトラックを走った。毎週水曜日が一般開放の日なのだ。
 その後、日本青年館で開催された「ウエルネス都城関東地区交流会」に出席。様々な懐かしい人々と交流の場を持ててとても有意義だった。中学時代のサッカー部の先輩(高校でも先輩)は、「日刊警察新聞社」という警察専門の新聞社の取締役になっておられた。また同じく他の先輩は毎日新聞社にお勤めになっておられたり、べぶ少年(瀬戸口裕二・南日本酪農)の弟が「電通」にいたり、弁護士になられている先輩や、ドキュメンタリ映画を創作している方、その他、それぞれ要職に就いて活躍されている方達ばかりであった・・・・・・・小学校、それも大王小学校(僕は小4まで大王小学校だった)の同級生の女性がいて、その女性に「山之内君! あたしをおぼえちょい?」なんて声をかけられた。・・・・・僕は、小学校2年まで、山之内(母方の姓)を名乗っていた。この事を知っているのは、今日、彼女と重松くらいだろうか? あっ、多分、たまにここにカキコしてくる「都城の母」がいるか・・・・・・・・・三浦ふみも知っているかな? あ! 去年の4月、中村氏の選挙活動の時に陣中見舞いに来た池田君も知っているか・・・・・・・まぁ、そんなローカルなことはいいとして。重松は今でも酔うと「あん、山之内君がこんなに立派になるとは・・・・・夢にも思わんかった・・・・・・」などと言いながらうるうるしている。いつも思うが、あいつも随分歳を取ったもんだ。
 会では、いつのまにか抽選会の司会をさせられ、そのギャラとして「霧島らっきょう」2袋と「ヤマエ味噌」1パックを貰った(笑)。最近、都城関係のイベントで、ギャラをよく現物支給でもらう。いかにも都城らしい(笑)。
 岩橋市長は今年の12月の選挙に出るみたいである。今度6期目、77歳である。まぁ、とても77歳には見えない・・・・・・今でも時々スカイダイビングをなさっている。きっと戦中、落下傘部隊か何かに配属されていたのではないだろうか(笑)? とにかく元気である。
 会は大盛況のうちにお開きになったが、会場に「霧島焼酎」が無かった。聞くと、売れ過ぎて、東京本社に在庫が無いのだそうだ。まぁ、昨今の焼酎ブームは異常とも言える。
 会が終わってから、2次会として、近くの青山にある「おやっとさぁ」に行く。勿論、公約通り、酒は一滴も飲んでない。「おやっとさぁ」は宮崎出身の石井君がやっている店である。まぁ、中々感じの良い店だった。石井君は渋谷にも「おじゃったもんせ」という都城一色の店を経営している中々のやり手である。勿論、店にある酒は全部焼酎。料理は地鶏。「夢の森たけ」も置いてある。それにしても、都城出身の人間が各方面で頑張っているのはとても心強い。
 その後、3次会。お馴染み「きばりやんせ」まで付き合う。同じく最後まで付き合っていた都城盆地祭り実行委員長の野口君は、何とか都城中央通りの活性化を真剣に考えている中々の好青年だった。僕の都城活性化案を真剣に聞いていた。僕の義理の兄(物故)に商業高校で卓球を教わり、全国大会に出場したらしい。 そんなこんなで帰ったのが夜中の2時。もうさすがにへとへと。そういえば朝一から大阪に行ってたんだよな~・・・・・・・・
 26日(木)午前中、CX「こたえてちょうだい」の生OA。その後宮崎日日新聞の取材。取材の方に「今年の12月の市長選に出られるんですか?」と聞かれ、「いえ、12月は岩橋市長にお任せして、その次を考えております」と乗って冗談を言ったら、そのまま書こうとされるので、慌てて「冗談ですよ」と否定。掲載されるのは、3月1日の月曜日か8日の月曜日だということだった。
 帰り、自分で運転して帰っていたら、レインボーブリッジの辺りで大渋滞。強烈な睡魔に襲われた。さすがに、このままで事故りそうだったので、PAに車と停めて1時間30分程仮眠。さすがに疲れていたのだろう。
 その後、散髪に行き、その後、17km走った。
 23日(月)にネプチューンのホリケンに会った。テレ朝でやっている「銭形金太郎」(3・18(木)夜11時OA)。その時、彼のマンションンを教えてもらったので、そこを見るために走って行った。とても瀟洒な高級マンションだった。ホリケンは昔フローレンスの頃から知っている。しかし、奴も売れて良かったな~と感慨深かった。それから、目黒にある元日ハムの金石選手がやっている寿司屋を見学。勿論走って。帰り、駒沢通りを走っていたら、祐天寺2丁目の交差点にある酒屋(敢えて名前は言わない)のショーウインドウに、何と「森の伊蔵」と「魔王」の一升瓶が置いてあった。中に入って聞いた。「これ売り物ですか?」「ええ、まぁ、売ってますよ~」と店主。「え? いくらくらいで売ってるんですか?」と聞くと「さぁ、相手によりますね~」なんて笑っている。「因みに、いくらくらいですか?」と突っ込むと「東さんなら、お金持ってるでしょうから、5万円くらいかな~?」などと笑いながら、冗談とも本気とつかない返事。「本当のことを教えて下さいよ! 本当は非売品でしょう? これ!」なんて尋ねると、「こっちとしても、はっきりした値段は付けられないんですよ~~あくまでもお客さんの言い値なんです・・・・」だって。ま~、す、凄いことになっている。焼酎が言い値、つまり時価なのだ。そんなのありか? 「で、大体いくらくらいなんですか?」と尚もしつこく聞くと、店主が「この前買って行かれたお客さんは、3万円で買われましたけど・・・・・」って、「さ、3万円?」芋焼酎1本が、3万円はねぇ~べよ~! とびっくり! 噂には聞いていたが、ここまで行ってるとは。 因みに1年程前に僕が仕入れた時は、確か5千円くらいだった。しかし、し、信じられない。鹿児島の国道10号線沿いの潰れそうな(笑)小さな焼酎工場が製造している焼酎が3万円もするとは・・・・・・・・・ちょっとこの国おかしいぞ! 確かに財は需要と供給がその値段を決定するとは言え、焼酎1本が3万円とはこれいかに。まさに焼酎バブル。この国の国民は、ほんとに流行やブームが好きだ。しかし、流行やブームはいつかは去る。こんなことしててどこかおかしいな~とは思わないのだろうか? 土地バブルの頃にもう嫌というほど学んでいるはずだ。あ、あの頃、焼酎屋さんはバブルとは縁が無かったか(笑)。しかし、この焼酎ブーム、南九州ではその材料となる薩摩芋が数十万tも不足しているらしい。まぁ、商売繁盛で結構なことだが、物事は調子の良い時に、次の対策を練って置く必要がある。この焼酎売り手市場、果たしてこのままで大丈夫なのだろうか?