22日(日)午後、伊集院君のTBSラジオでゲスト講師をやる。今回は「災害対策」。その冒頭で、災害対策とは全く関係無いが、「源頼朝と平清盛はどっちが幸せだったか?」について持論を展開。「ある意味、災害対策より面白いんじゃないですかね?」 と伊集院君に突っ込まれた。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。・・・・・・・驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし・・・・・」、拙著『ビートたけし殺人事件』のメインテーマとなった平家物語。何かとネガティブなイメージのある平家。しかし、平清盛は63年生きて、その栄華の中で死んで行った。平家が天下を盗り、栄華を極めたのは25年。しかし、25年も天下を盗れれば十分なのではあるまいか? 「驕れる者は久しからず」という、あたかも永遠に天下を取ることの方が善(徳)とした考えの方がおかしいのではないだろうか? 
源頼朝は52年生きた。平治の乱で破れ、12歳で伊豆に流され、30歳くらいまで流浪の人生を余儀なくされた。平家を壇ノ浦に倒したのが1185年。鎌倉幕府を開き天下を盗ったのが1192年、45歳のとき。それから7年で死んでいる。NHK大河で義経をやっていて、源氏側から描かれ、何かと頼朝の方が善であるような風潮・論調がある。しかし、栄華を25年も極め、その絶頂時に死んで行った平清盛と、少年の頃から流浪生活を強いられ7年しか天下を取れなかった源頼朝、果たしてどっちが幸せだったのだろう? つまり25年売れた芸人と7年しか売れなかった芸人とではどっちが幸せか? ということだ。
ラジオが終わって、吉川と皇居を走った。2周(約10km)をアップし、次の1周(約5000m)を19分53秒、2周目を19分33秒で刻んだ。もう1周やりたかったが、雨足が強まり、レース用の靴が濡れたり、買ったばかりの時計のことも心配になり、断念した。いかんな~、ついてないな~。やっぱり今度の山中湖は駄目だな~
夜、「都城の母」が静岡からやって来る。小学校時代の話で盛り上がった。爆笑だった。どうやら、僕は学級委員長として専制君主制を敷いていたらしい(笑)。しかもかなりの暴君だったらしい(笑)。給食を残したら運動場1周とか、遅刻をしたら廊下に立つとか、様々な罰則規定を設けて行ったらしい。授業中はトイレに行かないというルールを決め、それを厳守し自ら教室でオシッコを漏らしたらしい(笑)。それにしても「都城の母」は、昔の話をよく覚えていた。
小学校低学年の頃は、将来何になりたいか? の問いに「フランス人」と答え、上級生になると、「お笑い芸人と政治家」と答えたらしい。「と」というのが味噌である。「お笑い芸人」と「政治家」にその頃どういう共通点を見出したのか分からない。今考えると、かなりの共通点があると思うが。確か、あの頃はまだコロンビアトップさんやノック師匠などが国政に出て無い頃ではないだろうか? なのに、どうして「お笑い」と「政治」の共通項に気付いたのか? 恐るべし、英夫少年。他にもいろんな思い出話に花が咲き、爆笑の連続だった。