先日、読売テレビ「芸恋リアル」という番組(日テレ系・9月11日(月)21時~OA予定)で、下ヨシ子さんという霊能者に、ドキッとさせられることを言われた。
 僕は、どちらかと言うと、余りそういうジャンルを信じていない方であるが、さすがにあの発言にはドキリとした。
 まだ、誰にも吐露していないことである。
 
 下ヨシ子さんのことを、僕は、不勉強ながら、知らなかった。聞くと、何でも、現在、その世界の霊能者としては第一人者らしい。何だか、不思議・奇妙な感じである。
 
 今日は、枝豆君の劇団(豆屋別館)の舞台を観に行った。これは三又の劇団にも言えることだが、役者さん達が本当に熱心に誠実に芝居に向き合っておられる。そのことにいつも感動させられる。
 彼等彼女等には、ある種の「覚悟」があるのだ。もっと詳細に言うと、「成功しない覚悟」のようなものである。というか、「成功しないかも知れない覚悟」である。もっとつめて言うと「不成功を笑い飛ばせる覚悟」である。
 人生において、「成功しない覚悟」を持つということは、非常に難しい気がする。
 
 芝居と言えば、三又(一応、嘘でも一劇団の座長(笑))から「東さんは、役者として充分やって行けると思います・・・」などとお世辞を言われた。
 しかし、残りの人生を役者という道に傾倒する「覚悟」がどうも出来ないのだ。つまり「成功しない覚悟」である。というか、あの誠意ある役者さん達のように、情熱的かつ純粋に芝居に向き合えないことが、舞台・演技に対して失礼なような気がするのだ。
 全く、潔く無い。
 だからこそ、その「覚悟」が出来ている人々に感動すら覚えるのだろう。
 
 先の下ヨシ子氏の発言を全面的に信用し、受け入れている訳ではないが、その発言の内容を実行するためには、どの道、ある種の「覚悟」が必要である。勿論「成功しない覚悟」や「不成功を笑い飛ばせる覚悟」を含めて。
 「成就する期待」と「成功しない覚悟」は、常に表裏一体で、その岐路に対する選択はいつも目の前に立ちはだかる。
 
 大切な視点は悲劇を笑い飛ばせるかどうかの度量であろう。つまり悲劇を喜劇に転換出来る「覚悟」「能力」とでも言おうか。
 元来、社会の森羅万象の殆どは喜劇だと僕は考えている。
 悲劇を喜劇に変換し、笑い飛ばせる度量の醸成こそが、最も求められる「覚悟」なのかも知れない。