大学に通うようになってから、電車やバスに乗るようになった。お昼は大学の近くの弁当屋さん。コンビには殆ど毎日行く。以前、雑用は殆ど付き人やマネージャーがやってくれていた。しかし、大学生になってからは殆ど一人でやるようにしている。水道代・電気代・郵便局・銀行、ありとあらゆる一般生活的諸事を自分でやる。これらが学生になって最も学んだことかも知れない。
 若者の言葉や風俗文化にも嫌というほど触れる。「あそこの弁当屋さんどう?」「ふつうに美味くないっす」この「ふつうに(意外に)」の用法が僕には出来ない。46歳のオッサンには非常に難しい。第二外語のように聞こえる。「あそこの弁当屋さんの鶏カラ弁当、超ヤバクないっすか?」この「超ヤバイ(とても美味しい)」も使いこなせない。「あっ、そのまんま東じゃん。超そのまんまって感じ」この「超(?)」も苦手である。「むかつく」「きもい」、これはよく言われる(笑)。
 加えて、どうも最近「過去形」の表現が気になる。「これでよろしかったですか?」のあれである。特にコンビニ。目の前に買いたい商品が今ある。それをレジに出して今まさに購入しようとしている。時制は紛れも無く「現在」である。しかも明らかに「現在進行形」である。それを「これでよろしかったですか?」と表現される。何か居心地が悪い。「かった」は「よろしいでしょうか?」の「確認形」or「同意形」なのだろうか。「確認形」や「同意形」の助詞や助動詞で「かった」というのは聞いたことがない。ならば五段活用はどうなるのだろう。「かった、かっつ、かっつる、かっつれ、かってよ」だろうか? そんなことはどうでもいい。ビッグローブに入会するときも、電話で飛行機のチケットを予約するときも全て「過去形」なのである。「お客様の電話番号をお知らせ下さい」「東京03の・・・・・です」「はい。東京03の・・・・・でよろしかったですね」「お名前は?」「東国原英夫です」「はい。東国原英夫さんでよろしかったですね?」「お年は?」「46歳です」「はい。46歳でよろしかったですね」 僕は「過去」の人になったのだろうか。ある意味そうかも(笑)。
  コンビニでお金を出しているのに、確認されるのも気になる。例えば1000円の物を買って、10000円札を出してレジのカウンターの上に置くとする。必ず「10000円からでよろしかったですか?」と聞かれる。明らかにそこに10000円札を置いているのだ。「駄目です。それは何気なく置いただけです」という客が果たしているのだろうか?「10000円からでよろしかったですか?」と聞かれ、「そんなことは風に聞いてくれよ」という客がいるのだろうか? 一度、「よろしくないです」と言ってみたい。でも言えない。
  コンビニでお釣りを渡されるとき、お釣りがこぼれ落ちないようにとの配慮なのか、手を握られるのは違和感がある。女性ならまだしも、中年男性の店員さんも握ってくる。瞬間、肛門がきゅっと締まる。マニュアルなのか、彼は必ずこう言う。「10000円からでよろしかったですか」
 関係ないが、笑っていないのに「笑える」というのもどうか。 
 関係ないが、コンビニで売っているサラダにドレッシングが付いていないのがある。ドレッシングが別売りなのを知らなくて、そのまま買ってしまい、ドレッシング無しでサラダを食べたことが5回ある。コンビニの期限切れぎりぎりのサラダはドレッシング無しではとても食べられない。特にアスパラ。ふにゃふにゃしている。 
 関係ないが、コンビニのサラダの中に入っているレタスってどうしてああ白い部分だけなんだろう。緑の部分はどこに行ったのだろう。それに、蓋を止めているテープが粘着し過ぎ。テープを引っぺがすと、反動で必ず中の野菜(コーン)が飛び出てしまう。それを一粒一粒拾う惨めさったらありゃしない。
 関係ないが、ミニストップのハロハロはどうしてああ美味いのだろう。
 関係ないが、コンビニで買う最後の「ぴあ」。一冊しか残ってない「ぴあ」は何でああぼろぼろなのだろう。時々、中のページの角が折ってあるのもある。渋谷シネタワーの部分に赤線が引いてあるのもある。許せない。
 関係ないが、コンビニの外の燃えないゴミ用のゴミ箱は、何でいつもああ一杯なのだろう。いつも外まで伊右衛門がはみ出している。
 関係ないが、コンビニの冷たい飲み物。なぜ冷蔵庫に入ってないのに冷たいのだろうか? 恐らく、空気の幕を作って冷やしているのだろうが、キチンと冷蔵庫の中に入ってないとどうも信用できない。一般生活の中には、まだまだ難解で解き難い難問が山積しているのだ。