5月30日の宮崎日日新聞、「窓」の欄に掲載された、「知事の見識疑う 音楽祭コメント」という投稿。
 その意味がよく分からない。
 
 これは音楽祭が終わった翌日の記者会見で、僕が「音楽祭の運営・内容について、質を落とさずに出来れば今後節約をお願いします」と発言したことについて「見識がない」との指摘である。
 
 指摘は「主催者である県の長が、他人に言うように節約を求めるのは誠に奇妙である」となっている。
 良く意味が分からない。
 確かに県が主催である。というか、県が出資し、民間が協賛したりして、財団法人宮崎県立劇場に業務委託している事業である。内容や運営は委託先に全て一任してある。
 その運営や内容について、出資者である県がお願いすることがどうして奇妙なのだろう?
 
 確かに、5年契約なので、「節約してくれ」と今更言っても現在契約している残りの年の出費は変わらないかも知れない。
 契約内容次第であるが、財団の節約によって経費が削減されるとなれば、今後その契約内容は変えられる可能性もあるやも知れない。
 
 県からの出費は公費である。つまり県民の皆様からお預かりした大切な血税である。
 だから、裏金の温床とも成り得る「預け」はいけないのだ。大切な公金を預かっているという意識が根本的に欠落している。
 血税をお預かりする機関の長として、あらゆる事業に対して、少しでも効果的に無駄の無いように使途して下さいと訴えることが、どうして見識を疑われなければならないのだろうか?
 全く解せない。
 21世紀の自治体行政は「運営」でなく、「経営」である。
 
 因みに、「見識」とは?
 「物事の本質を見通す、すぐれた判断力。また、ある物事についてしっかりした考え、見方」(広辞苑)とある。
 
 勿論、文化芸術事業がいけないと言っている訳では、決して無い。文化芸術事業は県民福祉の向上、情操教育等に資するとても重要な事業であることは十分認識している。
 
 投稿による指摘には、「マスコミの前で予算削減の正当性を訴えるのは、情報操作していると思われる」ともある。
 これに至っては、あいた口が塞がらない。全く、意味不明である。
 
 これは前にも書いたが、因みに、今年の入場者数は、約2週間(9プログラム)中、県内外併せて約9000人。県の出費は1億3000万円。
 これが高いか安いかについては、納税者である県民の皆様の判断である。
 
 こういうことをここで書くと、また、情報操作と言われるのだろうか?
 因みに、宮日新聞での投稿には、同じ投稿で返すべきかな?と思ったが、宮日新聞は県内外で一日約24万部購買されている広域情報メディアである。おまけに宮日ネットでも配信されている。
 因みにこのブログへのアクセス数は一日当たり、約1万件である。
 
 加えて、県出費の事業について、事業の運営者に、メディアの前で節約をお願いすることが見識に悖ることなのだろうか? どうなのか? この事についてもご審議願いたいものである。