出来ない理由って実に簡単だ。他者が作ったり、生み出したりした物や事への批判も簡単だ。
 そういった意味で、僕は評論家という立場をあまり信用していない。
 出来ない理由を羅列したり、何事にも批判や批評をする輩は、恐らく、その人が、物や事を生み出したり、創造・発明したりしたことが無いか、それらが出来ない人なのだろう。つまり、そういう才能の無い人々だ。
 才能の無い人間に限って、対案・代替案も出さず、ただ批判・否定する。
 
 あの映画はつまらないとかあの本は面白くないとか、あの音楽は、あの絵は、あのやり方は、あの表現方法は・・・・・・・何でもとにかく批評・否定する。楽して知的・社会派を気取れる。
 
 マニフェストや総合計画まで批判・批評する人間がいる。僅かな限られた時間の中で、どれだけの労力とエネルギーと知恵・情熱を結集し、作成したことか。
 
 天満橋の上で花火を打ち上げられないか? 橘通りを歩行者天国に出来ないか? 文書センターをレトロなカフェに出来ないか? 県庁でウエディングを出来ないか? 青島太平洋マラソンのコースを変更出来ないか?
 
 「出来ない」らしい。残念だ。
 出来ないことは出来ないらしい。
 
 スポーツライターの二宮清純さんが先日のシンポジウムで言っていた。
 日本人はルールを守ることは上手だが、作ることは下手である。
 いつも言うが、創造や創作は大変難しい。ましてや、それらが万人に支持されるのはもっと難しい。
 
 宮崎は、この「出来ない」で、他府県より遅れをとったのかも知れない。
 全国一律の法律の下で、個性ある自治体を創ることがいかに難しいか。
 しかし、これからの時代、創造することが、オンリーワンの自治体の必須条件である。
 
 宮崎は「創造」にチャレンジする。
 ん? 出来ない?