最近、頻繁にデジャヴーを見る。ありとあらゆる場面で。
 
 25日(土)
 午前中、CX「火曜スペシャル」(10月上旬OA)のロケを青島でし、その後、県庁で日テレ「ものまねバトル」のプレゼントロケ。
 終わって、自宅マンションから宮崎空港まで走る。気温33℃炎天下、約11km。脱水気味。
 夜、九州各県議員野球大会交流会挨拶→都城へ移動。都城市の花火大会でカウントダウン。直ぐにまた宮崎市・青島に取って帰り、「チンタオ・青島国際ビール祭り」の花火大会のカウントダウンのみ。結局、花火は満足に見れていない(笑)
 
 26日(日)
 朝、日南に向かう。日南堀川運河の木橋の完成式→日南後援会のパーティ出席→日南少年ハンドボール教室挨拶→天福球場視察→串間市へ移動。
 串間JA大束甘薯掘り→串間青年団のビーチバレーボール大会挨拶→都城市へ移動。
 都城後援会パーティに出席→宮崎市に帰る。
 
 27日(月)
 先日、松形元宮崎県知事がご逝去された。氏は、元林野庁長官で、1979年~2003年まで、6期24年に渡り、知事を努められ、交通網や文化施設の整備、森林活用やシーガイアの設立に貢献された。89歳だった。
 
 氏が知事であられたあの24年間。宮崎は一体どういう宮崎だったのだろう?
 
 今日、その葬儀と告別式に参列させて頂いた。厳かな式であった。錚々たるお歴々、沢山の親族、多くの方々の葬儀参列は故人の生前のお人柄と偉大さを如実に表わしていた。
 
 御棺を送り出した後、足早に車で県庁に戻った。
 松形元知事の棺を乗せた霊柩車は市内、橘通りを回り、県庁の前を通り、県庁に最後のお別れをして荼毘所に向かうコースだった。
 県庁正門前の県庁楠並木通りには数十人の県庁職員がお別れを告げるために横一列に並んでいた。
 
 そんな折、正門から僕らが車で入っては失礼だろうと、東門からそっと歩いて入ろうとした。すると、秘書課の職員から「正面入り口に沢山の観光客の方々がお見えになっております。是非、握手や挨拶をして行って下さい」と言われた。
 
 僕は、歩いて正面玄関に回った。そこには200人くらいの観光客の方々がおられた。
 僕を見つけるなり、一斉に歓声が上がった。僕はいつものように、黒山の人だかりに入って行き、カメラのフラッシュを浴び、一人ひとりと握手を交わして行った。
 
 その時、遥か後方の県庁通りを松形元知事を乗せた車がゆっくり通りかかった。僕は、背中の気配でそれを感じていた。
 正門前を通り過ぎるとき、車は静かにそして長めにクラクションを鳴らした。きっと県職員の方々が深々と低頭しているのだろう。
 
 「知事さん、こっち向いて~!」「国原知事! 握手して~!写真撮って~!」観光客の方々は恐らく、後方の楠並木通りを松形元知事が通られたことは知らない。
 
 松形氏は県庁の前を通り過ぎるとき、県庁が観光客達で埋まっているこの光景を一体どういう気持ちでご覧になったであろう?
 時間は無常にも前に進み、時代は確実に流れる。
 
 僕は観光客の方々と一生懸命握手をした。そして、敢えて振り返ることはしなかった。
 背中で霊柩車に深々と頭を下げた。「長い間、宮崎のため、本当にご苦労様でした。安らかにゆっくりお休み下さい」
 僕は背中でそう呟いた。
 
 その時、またクラクションが鳴った。鳴ったような気がした。いや、少なくとも、僕には聞えた。
 「後は君に任せた!宮崎を頼むよ!」クラクションは僕にそう呼びかけていた。