知ること、それが第一歩
吉越 帆高(小学校6年 富山県)
引用
内閣府ホームページ
令和2年度「心の輪を広げる体験作文」
「ごめんねはいらないよ。ありがとうだけでいいよ。」
これは、宿泊学習で急な坂道を登る時、後ろから押してくれた友達がかけてくれた言葉です。
ぼくは生まれつき足にまひがあって歩行器や車椅子を使って生活しています。
友達に助けてもらうことも多く、ぼくはいつも、「ごめんね。」と言っていました。
でも、このときの言葉で、仲間として認めてもらえていることを実感して、この仲間と出会えて良かったと思ったことを今でも覚えています。
小学校に入学した時、それまでは療育センターに通っていて障害のある子としか過ごしたことがありませんでした。
ぼくは支援級なのですが、交流級にも行くことになり、
初めて行く時はみんなの迷惑にならないかとか、一緒に過ごしていけるかなど、とても心配で不安でした。
けれど、すぐにみんな話しかけてくれ、とてもほっとしました。
しかし、いやなこともありました。
それは、周りのみんなに「どうして歩行器を使っているの。」と、ひんぱんに聞かれたことです。
当時はどうやって答えればいいのか分からず、泣いてしまったり黙ってしまったりしました。
でも、勇気を出して答えているうちに、聞いてくれた子が周りの子に教えてくれていたり、
「街中で車いすとか使っている人を見てもおかしく思わないようになったよ。」と言ってくれたりして、
みんな、ぼくを理解してくれようとしていた証だったのだと分かって、いやな気持ちもなくなり、自分から笑顔で説明できるようになりました。
みんなの気持ちがわかって、学校でもいろんな行事に積極的に参加できるようになりました。
運動会も、ぼくが団にいたら徒競走などのポイントを落としてしまうのに、
誰もいやな顔をせず走り終わるまで「がんばれー。」と一生けん命応援してくれて、全力で走り抜けることができました。
宿泊学習にも参加して、みんなの助けもあって、できる範囲でみんなと一緒に活動することができています。
ぼくは今六年生です。中学生からの自立ということもあり交流級に行く機会が増えました。
それに伴ってみんなに助けてもらう事がますます増えています。
だからぼくは「ごめんね。」ではなく、「ありがとう。」を精一杯言うようにしています。
そして、ぼくもみんなのために、誰かが困っていたら声をかけてあげたりなど、自分に出来ることを積極的にがんばっています。
時々、ニュースで障害者を差別するような事件を聞くことがあり、ぼくはとても悲しい気持ちになります。
ぼくは障害という言葉があまり好きではありません。
障害の壁をなくそうと言っているのに言葉で区別ばかりしていてはいつまでもその壁はなくならないと思います。
ぼくが小学校で学んだことは、自分のことを知ってもらうことが大切だということです。
みんながぼくのことを知ってくれたから、今とても楽しく学校に通っています。
だから、障害のある人は、積極的に自分のことを知ってもらうようにした方がいいし、
そうじゃない人は周りの障害のある人のことを積極的に知るようにして欲しいです。
もし周りにいなくても本や新聞記事などを読んだりして関心や興味を持ってもらえれば、
先入観や偏見などではなく本当のことがわかると思います。
そうすれば、ぼくと学校のみんなのように、仲間になれると思います。
❇️これは障害のことだけではなく、肌の色や性別なども同じだと思います。
そういうことに関係なくその人自身をお互い知るようにすれば、みんなが世界の一員として幸せになれると思います。
だからぼくも、これからも積極的に自分のことを知ってもらい、また自分も周りの人のことを知るようにしていきたいです。
それが、第一歩になるからです。
ありがとうございました🙏
🌟おまけ🌟